10
1
2
3
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

今野真二『常用漢字の歴史』

常用漢字って決めていくの大変。

最近古文書に手を出し始めたこともあり、
もともと漢字への興味は
強いほうだったけれど、
ますます知識として
持っておいて損はないか
という状況にあるため、
読んでみた。

昔の人が工夫をこらしてきたから、
今の私たちが
簡単に漢字を書いたり
覚えやすくなってきているんだとわかった。

なんとなくでも、
昔の漢字いわゆる旧漢字とかいうやつは
画数が多かったり、
妙な動きをする線があったりして、
難しいというイメージを
誰でも持っているだろう。

今私たちが使っているのは、
そういう部分を省略したから、
当然簡単になっているのだ。

しかし
今から覚える人には簡単であっても、
いざ昔の字を読もうと思ったら、
今と昔で使っているものが
微妙に違ってるから、
その時の文章が読めないとかいう
弊害もあったりするのだ。

ほとんどの人にとって
それは困ることではないが、
一部の人は
それを読むために
また勉強しなくてはならなくなり、
それが専門性を帯びてくるのだ。

果たして私が
古文書をよどみなく読める日がやってくるのか、
途中でやめてしまうのか、
それはまだわからぬところ。
しかしめんどくせえ。

はてさて常用漢字の話に戻るが、
昔常用されていたものと、
今常用しているものは違う。
当たり前。
マッチやライターが存在する時代に、
鑽(ひうちがね)
などという漢字は常用されるはずがない。
だから時代と共に
常用漢字も少しずつ変わっている。

漢字なんて
あって当然と思うかもしれないが、
実は漢字廃止論というのがあって、
ひらがなやカタカナだけにしろーとか、
ローマ字で全部かけーとか、
今となっては、
そんな馬鹿な、
と思えるような議論が
おおっぴらに言われることもあった。

漢字があるから
日本語を覚えるのが難しくなるんだ、
という話だが、
漢字があるのとないのとでは、
文章の読みやすさが違う。

いくらフォントや
スペースを埋め込んで工夫したって、
一旦漢字を覚えた人間からすれば、
使うのと使わないのとでは、
理解度は天と地の差だぞ。

そもそも
漢字廃止論を唱える奴らだって、
自分たちは
漢字を理解しているんだから、
もし仮名文字や
ローマ字で表現された
日本語を見れば、
頭の中で漢字に変換して
読むに決まっているのだ。
そのほうがわかりやすいんだから。

そこを無視して
日本語を表音文字だけで記そうなど、
荒唐無稽、笑止千万よ。
一部の老人は
自分の理解の中だけで完結させて、
次代の大勢の人間たちが
生まれてから死ぬまでの
人生に対する責任を軽んじているから困る。

はてさて、
それでは、
今使われている漢字たちは、
100年前に漢字を使っていた人たちにとって、
どう思われるのか、
彼らが使っていた漢字と
著しく変化を遂げた漢字は、
まさに彼らの気分を
打ちのめしてしまうほどの変化ではないかと、
問われてみれば、
ぐぬぬ、
いうことにもなるのであろうか。

あとあの人たち
行書とか草書使いすぎなんだけど、
どんだけやってんの?
江戸時代の識字率が
やたらめったら高かったとかいってたり、
実際農村に大量の古文書があったりして、
文字に親しんでいたんだろうが、
今そんなのを見てみると、
昔の人間の大概が
読めたはずの文書が、
今の自分に読めないっていうのは、
なんだか大変な屈辱に思えてきたりするね。

常用漢字の話から
脱線しっぱなしなんだけど、
何はともあれ、
常用漢字って気づいたら
どっか変わってたりして、
昔の漢字と今の漢字、
使われ方が変わったりするんだけど、
漢字さんには、
どうにかこうにか、
おかしな変化を遂げずに、
生き続けてもらいたいもんだと願う次第。

ダレル・ハフ『統計でウソをつく法』訳:高木秀玄

刺激的なタイトルに惹かれて購入。
しかも1968年に初版、
今私が手に取っているのは2015年の第93刷。
これは紛れもない名著。
はずれナシ!

そう思って読んだものの、
わざわざこの時代にこんな古い本読む必要あるか…?
という感情にさいなまれる。
古いわ。データが古い。背景が古い。
ところどころ何言ってんのかわかんねえ。
あと訳も読みにくい。
名著だか何だか知らんが
わざわざ現代日本人が、
古い外人の書いた統計本読む必要ないんじゃなかろうか。
日本人の書いてる初心者向けの統計学の本が存在してるなら、
それ探して読んだほうがよさげ。
どこにあるかは知らんけど。

読みにくさが先行して
あんまり楽しい読書にはならなかったけど、
参考になることは多い。
統計情報が世の中に氾濫してるのはそうだし、
何も考えずに受け取ってるとおかしな勘違いをしたり、
まんまとそれを作り出した人の思惑通りに陥れられることもあるので、
気を付けたほうがよいことはいっぱいあるよね。

ここまで書いて、
日本人が似たような本を書いてないのかと気になったので、
アマゾンで探してみたけど、
それっぽいのないね。
一般人として統計の最低リテラシーがほしいっていう人は、
これ読むしかないかもしれない。
ゆえにこの本おすすめ。

井上章一『京都ぎらい』

新書大賞20161
でかでかと宣伝され、
カバーの上にカバーとは
最近の本は、こってるんだなあと思わず購入。

さて内容は、だめ。
最初のうちはそれほど
気にならなかったが、
読めば読むほど
作者の劣等感が鼻につきだす。
書いている内容として
参考になることもあれば、
子供の感想文じゃねーんだぞと
突っ込みたくなることもあり。
とにかく文章の雰囲気が最悪。

そもそも
劣等感を抱いている風を装ってはいるが、
この作者は
それなりの地位も名誉も金もある人物であって、
そういうことも本書の中で自分から明かすものの、
かなりしょぼい劣等感でしかないことは明白。

洛中と洛外の差とかいうけど、
そんなもん大小あれど
誰にだってあるし、
ど田舎生まれの私にすら
持ち得るものであって、
しかも限りなくどうでもいい。

恵まれているから
どうでもいいことにこだわって、
洛中人に都合の悪いことがあれば
心の底で喜んでいることを
「演じている」ぐらいにしか見えない。
性格悪そうな年寄だな。
いかにも
年取っちゃいました
って感じの思考の硬直感があるし、
読んでてだるい。

一番理解できんかったのは、
この本が仰々しげな賞を受けてること。
こんな品もない、
学も中途半端な読み物
よく堂々と表彰できたな。
新書はこの程度がふさわしいっちゅーこと?

乾ルカ『森に願いを』

乾ルカ『森に願いを』を読んで。
 一つの話が終わって、主人公が変わったので、短編集かなと思ったけれど、何となく読んでいるうちに、同じ場所、同じ人が出てくるところから、舞台は同じで何らかのつながりがあるんだろうなということに気づけた。登場人物はみんな何か困難を抱えていて、森へと入っていって、庭師の青年や植物とのふれあいの中で、困難と向き合い、折り合いをつけていけるようになっていった。とても読みやすくて面白かった。
 私が子供のころ、大人がうらやましかった。私は学校が嫌いだったからだ。なぜかと言えば、何のためにやっているのかわからない勉強をさせられて、苦しい運動をさせられて、よくわからない技術科目、それはたとえば絵をかいたり、工作をしたり、家事のまねごと、技師のまねごともあった。とにかく勉強したくなかったし、面倒だったし、学校が終わっても宿題をやらなきゃいけないっていうことも最悪だった。毎日の時間を束縛されているようで、それが気に入らなかったから、自分のやりたいことだけやれたらいいのにと思っていた。そういう私にとって、大人は仕事があるといっても、その内容なんて何もわからなかったが、帰って来ればぼーっとテレビを見ていたり、私と遊んでくれたことも数多くあったが、仕事というものが終わりさえすれば、あとは完全に自由の身であるように思えた。宿題をしなくていいし、勉強する必要がない。ただどこかへ行って、何かよくわからない仕事というものをしてくればいいだけで楽なんだろうと思えていた。だから私は、早く学校などというものから解放されて、仕事というものをするようになれば自由な時間が増えて、難しいことを考えずだらだらと生きていけるようになればいいと思っていた。でも今それが、すべて間違いだったとはっきりわかる。大人というのは子供をやっていた時よりもはるかに面倒で、だるいものだ。ただ勉強さえしていればよかった時代が、いかに恵まれていた時期だったかということが、今ならわかる。やったらやっただけの成果がきちっと自分に跳ね返るだなんて、とてもわかりやすい話だ。では社会というものはどうだ。なんとどろどろしてつまらないことでいがみ合い、非効率なことをして、また愚かな人間関係が存在していることか。人は自らの愚かさに気づかず、愚を周囲にふりまき、まとめて闇へと堕ちていくのだ。それに加えてわからないことが山ほどある。学校の勉強では足りないほどに理解できないことがたくさんあるのだ。わからないことを解決するためには、誰かの手を借りるか、もしくは自分が一層賢くならなければならない、つまり勉強しなければならない。大変なことだ。私が子供のころよく言われたことには、大人は仕事をしている、子供は勉強をすることが仕事だ、と。しかし勉強は子供だけのものではなかったのだ。大人も勉強しなければならない。考えることもしなければならない。人を動かすためには人が動きやすくなるよう配慮しなければならない。その配慮の方法を勉強し、考えることも必要になる。何たる面倒くささ。時間のなさ。もう社会なんて嫌だ、人とかかわるのは嫌だ、考えるのは嫌だ、そういう世間的なわずらわしさから逃れるように、困難を抱え、植物に惹かれ、自然の中へと隠遁したくなるのだろう。私も隠遁したい。

1363文字。

                                    

夏休みですね。
時節柄こういうスタイルいいんじゃないですかね。
誰もほめてくれる人はいないので、
自分で自分をほめます。
よくやった。
夏休みの宿題一つ終わらせられるぐらい
よくやった。
ただ文字数的には若干物足りない。
2000文字はほしかった。
また今度別の機会にチャレンジだ。

さて、今回の本、面白かった。
とにかく読みやすい。
ただ時間はそれなりにかかったような気もする。
個人的に一番びびっときたのは
最後から2番目「とらわれの木」
40歳行き遅れ女性の悲哀。
痛い。
現実に、ここまでひどくはなくても
これに近い印象の人って割と身近に存在した。
一人二人じゃなかった。
被害者意識の強い人。
自分の痛みにだけ敏感で、
他人の痛みになんて考えも及ばない。
悪口が好きってもう存在が邪悪。
一緒にいて
きついとしか言いようがない。
こっちの主人公は
立ち直る希望を
得たかどうかってとこだけど、
現実問題どないしょーもない人が
いっぱいいて困る。
この本をプレゼントとかしたら、
やっぱぶち切れちゃうんですかね?
案外気づかなかったり?
藪蛇だなー。

深井良祐『なぜ、あなたの薬は効かないのか?』

薬剤師兼医療コンサルタントによるわかりやすい薬の話。

私の体もおんぼろすぎて
何種類もの薬を飲まねばならぬことが
あったりなかったりするが、
薬屋の奥で薬を作り、
手渡してくるあの人は
いったいどのような思いで接していたか、
そんなものが
わかったりわからなかったり。

 

新書らしい非常にわかりやすい薬に関する説明で、
今後の参考になりそうな予感がした。

結構面白い本なので、
タイトルにぴんときた人は読んだらよろし。

 

薬への印象として、
副作用があるかもとか、
薬物耐性ついて
やめられなくなるかもとか、
どうせ「治せない」んだから
極力使いたくねえなあ
みたいな感じはあった。

悪い医者は
患者を薬漬けにして
金とるとかいう話もあるので、
医者に対する不信感もある。
そもそも医者なんて
流れ作業でやってるから
相談なんてする気もしないし、
伝えたいことが伝わらなかった経験が多い。

そういうことから
あんまりこっちから何も言わず
出してくるもん服用して、
効いたら通って、
効かなきゃ病院変えるみたいなやり方になる。
何が不満かって
こっちはどういう選択肢があるか
さっぱりわからん状態で
いつも言われるままになるしかないってこと。

薬にどんな種類があって
どういう治療方針なのか
説明しろよと思うが、
こっちからとやかく言うと
なんかうざがられるので黙っとく。
で、薬局いって薬もらって。
薬剤師に相談とか、
そんな発想欠片も浮かんだことはなかった。
薬作って渡されてそれで終了。
確かにお薬手帳はしょっちゅうきかれた。
相談っつったって
処方箋もらって処方受けてるのに
さらに何を相談すりゃいいんだ。
医者が話聞かない分、
薬剤師が聞いてくれるんだろか。
そんな相談サービスあるなら
どっか書いときゃいいのに。
著者はしきりに薬剤師を頼れよとかいうけど、
そんなんこっちから言いにくいから、
そっちのほうこそもうちょっとオープンな姿勢見せてくれよ。

プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
バイクや車でドライブしたり、電車や飛行機で旅したりします。忙しいからブログさぼってもいいよね?

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

Lc.ツリーカテゴリー

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム

FC2カウンター

リンク

RSSリンクの表示