08
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『詭弁論理学』野崎昭弘

詭弁でものを言う馬鹿がうっとうしいなあ、ちくしょう

そんな思いでも込められてるんだろうというタイトル。
本書内で著者はしばしば毒づく。

ずっと身近な詭弁・強弁を挙げ続けるのかと思ったが、
途中で少し記号も出たりして、
考えさせられるところもあり。
それでいて最後は論理お遊びで締めくくり。

非常に読みやすく、
論理学入門として普通にすすめられる。
いやまあ初歩の初歩として、
論理学に慣れ親しむという程度にだけどね。

端的に言って、面白かった。
感想とかそれぐらいしかないんだけど、
せっかくだから、
この本に出てきた問題、
p.177以下、「死刑囚のパラドックス」
というところについて、
私が考えたことを適当に書いてみる。

☆☆☆☆MERRY CHRISTMAS!☆☆☆☆

まずは問題そのものについて。
と、ここで物語全てを記述するのには、
意味がないので、簡略化している。

ある人が、王様の悪口を言ったところ、
それが王様の耳に入り、彼は捕まった。
王様はとても怒っている。
その怒った王様いわく、

お前を死刑にしてやる!
明日(1日目)から7日目までの間、
どの日かが、お前の死刑執行日だ!
しかし、お前が「今日、自分の死刑が執行される」
と、分かっている日は死刑は執行されない。
私はお前が、いつ殺されるかという
恐怖の苦痛にあえぐところを見たいのだ!

何やらとんでもないケースだが、
気にしない。

ここで、彼は考え抜いたところ、
なんと必勝法を思いつく。
(関係ないけど、ライアーゲーム面白いよね)
それは一体どういうものなのか。

この問題の肝は、
彼が自分の死刑執行日を予測できれば、
それが行われることはないというところである。

ならば、7日目に死刑執行が行われないことは、
容易に理解されるだろう。

なぜならば、
仮に6日目まで死刑執行が行われなかった場合、
残る日程は7日目しかないのだから、
その日行われるであろうことが分かってしまう。
よって、7日目に執行されることは、あり得ない。

しかしそうなると、
今度は6日目の死刑執行が不可能になる。
5日目まで彼が無事であったとするならば、
前述の通り、7日目の執行があり得ないのだから、
その執行は間違いなく6日目。
このとき彼は再び、
自分の死刑執行日を予測してしまうのである。

では彼の死刑執行可能最終日は5日目か。
それも違う。
彼は6日目と7日目の死刑執行を
予測することが出来る。
4日目まで殺されなかった時点で、
彼はまた、5日目の死刑執行を予測するのである。

この推理を繰り返していくと、
結局、彼の死刑は行うことが出来ない。
唯一、推理のしようもなかった「今日」なら、
死刑は執行され得ただろうが、
それは条件として入れていない。

こうして、彼は死刑執行を免れる。
果たしてこれは正しいのだろうか。

まあ自分でも少し考えてみよう。
私からの回答は下に隠しておく。


続きを読む

『ウェブはバカと暇人のもの』中川淳一郎

内容は、ネットでの大衆批判って感じ。
大体合ってるんじゃないかな。
著者が少し気持ち悪いけど(笑)
語ってる著者自身が対象に
染まりすぎてるような。

彼はネットの大多数がバカと暇人だって言うけど、
彼自身そういう人たちを相手にした商売をやってて、
そこから抜け出そうという気もなく。
随分退廃的な印象ですね。
ニヒルというか、無気力というか。

何だか、罠にはまった人が、
はまったまま批判してるような滑稽さがあった。
別に私は、彼をけなしたいわけではないのだけど。

それに、しきりにネットではB級が受けると言ってて、
私自身それを否定しはしませんが、
大企業はそこんとこよく分かってないだとか、
自分のアイディアがいかにネットに適合してるかっていうのを
アピールしまくってて、
この本、実は著者の宣伝活動なんじゃね?
みたいなことを邪推させてくれました。

どうもこの本を読んでると、
こっちまで無気力にされそうで、
読んでて倦怠感とか疲労感を覚えました。

あと文章書くの仕事にしてる割に、
あんまり上手くないですね。
新書に文章の上手下手とかはもう半ばあきらめてますけど。

                              
しかしこの感想自体も
全体的に疲れそうなオーラ漂ってますね。
それとも私だけがそう感じるのかしら。
私も簡単にネットについて、
語ってみようかな。

私はネットの住人も、
現実世界にいる「大衆」と
そう変わらないものだと思っています。
いや、むしろ彼らのほうが、
自分たちを優良種だと思い込んでいるところがあって
厄介だなと感じます。

しきりにリアルで流行っているものを叩くなどして、
自分大好きな、なんちゃって厭世主義者っぽいんですよね。
自分の安全は確保しつつ、
周りにあるものを叩いとけっていう典型的な。

みんなが叩いてるから自分も叩いとけ、
っていうのも気持ち悪いですね。
彼らほど流されやすいのもなかなかいないでしょう。
誰かが恣意的に情報を流してやるだけで、
何でも叩けるんじゃないかと思えます。

そもそも情報などというのは、
どれも確実性に乏しく、
それを与える人間によって大きく影響されうるのに、
どうしてあんなに流されるのか不思議です。

またその情報がマイナーであればあるほど、
何か特別な情報に思えて、
信頼しようとするのだから
二重に驚きです。
特ダネつかんだ! って気分ですかね。
彼らにメディアの誤謬を批判する資格はないでしょう。

あとはまあ、過剰に叩きすぎです。
最近は民主党叩きが流行りですかね。
これは以前マスコミが
自民党叩きまくったのもあるでしょうけどね。

私も民主党は嫌いですけど、
叩き以上の意見があまりないのがねえ。
私はもう法律とかシステム変えろと思います。
どこの党にやらせてももうだめでしょう。
まあ政治に興味ないし、
あんまり知らない私が言ってもしょうがないですね。
なるべくそっちには口出ししません。

地球温暖化も結構すごかった気がします。
反対しすぎて、
温暖化そのものも認めないようなのとか見かけました。
さすがにどうなんだ、それ、とか思いましたけど。

最近はエコをバカにしてる論調が多いですね。
もはやただの企業叩き、嫌がらせで、
マスコミ、広告会社などに対する拒否姿勢を示す手段として
利用されてる感は否めません。
あと「オレは世間に流されないんだぞ」アピールでしょうか。
反対するのはいいんですけど、
その理由が変というか、
建設的でないですね。


ふう、今日は暗いですね。
気分が。
文章も暗い。


ところで最近アクセスが微増してますね。
冬休みに読書感想文の宿題でも出ましたか?
がんばってください(笑)

『日本辺境論』内田樹

「こんなに日本文化論が好きなのは日本人だけである」(p.22)
日本人は「日本文化論」が大好き(p.105)

の文章の方が惹かれるところの多い気がするのは、
やはり私も「きょろきょろ」しがちな
日本人の一員であることの証左でしょうか(笑)

『日本辺境論』というタイトルは、
中身を見るまでもなく
「日本文化論」であることは分かりますし、
普通なら完全スルー対象ですが、
著者が気になったので買ってみました。

彼はブログもやってますし、
研究者としては有名なほうでしょう。

本書では、
日本がいかに「辺境」的で
「辺境人」の巣窟であるかを説いていますが、
否定的なわけではなく、
まあ好きにやったらいいじゃないといった感じです。

分で言うのも変ですが、
私は日本人としては変わり者だと、
あまり「日本人的」ではないかなと
思って(うぬぼれて?)いたのですが、
そんなことはなさそうでした。

私は相対主義的で、
断定するのが苦手ですから、
何か一つの思想を掲げてる人を見ては、
すごいなあ、
何でだろう、

と感心すると同時に
不思議に思っていたのですが、
この考え方が「きょろきょろ」してる
日本人そのものでしたね。

とえば私は無神論者で
無信教ということにはしてますが、
それでも、
そちらに積極的に
コミット・着手しているわけではありません。

もともと
あやふやなものに対する信仰を
否定していった結果がこれだったので、
いざその立場を
自分の信条と理屈に合うように
構成していこうと思うと、
結局ある地点で
自分が否定していたはずの
「あやふやなもの」が出現するので、
それに気付いて以来、
私は地に足が付いてない感じで
ふわふわ中空をさまよっておるわけです。

一体何なの?
何に根拠があるの?

と、そんなものを問われれば、
もう口をもごもごさせながらどもるしかないのです。


う一つ、本書で気になったのが
日本人の学び方というところです。
ページ数で言うとp.126あたりから。

ものを学ぶにあたって、
知識ゼロの状態から、
いくつかの選択肢、何人かの師を比較考量し、吟味の上で、その中で客観的に見てもっともすぐれたものを採用するということをしていません。

師弟関係がテーマですが、
これがおかしくないのは、
学ぶ方(弟子)が
比較考量することもできないほどに
知識ゼロだからです。
これが、
国家でも個人でもそうなのだと言います。

著者自身の経験としては、
武道や能楽を習ったときのことを
例示してくれていますが、
私自身もそのような態度には覚えがあるというか、
まさにそんな選択、
決定をしたばかりだったりします。
ので、よく分かります。

く読み始めた本でしたが、
予想以上に身につまされる
内容ではあったように思いました。
身につまされると言っても、
悪いことだったからというわけではないよ。
でもやっぱり全体的に見て、
胡散臭さバクハツだと思いました。
納得できるような、できないような、
ていうかしてもいいのか…。

(「身につまされる」という言葉の用法が気になり、その場でググってみる。
どうやら「人ごとでなく感じられて、哀れに思われる」という意味らしい。
ここで「哀れ」とかそんなこと言ってないし、若干誤用気味か!?
要するに「他人事じゃねえな」的なニュアンスを醸したかっただけなので、
そのあたりは、各人察して呉れたまへ。)

西村茂樹『品格の原点 いまなぜ「日本道徳論」なのか』訳:尾田幸雄

120年以上前に書かれたものの翻訳であるが、
内容は現代と比較してそん色ない。


外国崇拝と自国蔑視の風潮
元来、日本人には、すばやくて賢い資質の持ち主が多いが、また一方で、思慮が浅く、遠大の見識に乏しく、定見がなく、みだりに他人の意見に同調する傾向があって、自立の志が弱い。
』(p.30)


いい加減耳にたこが出来そうな類のお話し。
明治以降の日本人というのは、
大体これが基本なのだろう。
いまさらどうということもないが、
この時代にもこんなことが言われてたねってことで。

哲学者はみな先人の上に抜きん出ようとし、意味もなく異説を立てて先人の説を排撃する。その説が先人の説と異なるところはわずかなのに、先人を排撃する言葉は非常に厳しい。(儒者の悪習が聖人賢者の言葉にこだわる点にあるとすれば、哲学の悪習は先人の言葉を排撃する点にある。)』(p.65)

そうだね。
くだらない言葉尻を
つかむようなばかばかしい
議論ごっこに
付き合ってはいられない。

あと哲学者は
自分でいろいろと
まだ言葉になっていないと
思えるようなものを
定義したがるので、
結果として、
はたから見ると
言ってることはあの人と
変わらんじゃないか、
ということがあっても、
本人としては、
そうと思わなかったり、
また自分自身でそれを
構築したことのほうが
ずっと大事であったりもするので、
ちょっと大目に見てあげることが
必要かも。

逆に言えば、
そういったものを学ぶ人は、
多くの哲学者について研究するのもいいけど、
大要は似通ってくるだろうから、
どこかで少し離れないと、
比較研究だけで
生涯を終えかねないことになる気も
したりしなかったり。

重箱の隅を突っつくだけの議論・研究からは
真理は見つからないんじゃないかなあ。


全体として悪くはない。
当時としては進歩的な考えの持ち主だと思う。
いろいろなところで
折衷案・妥協案みたいなのも出してて
配慮が窺われる。

ただやっぱり理想案に過ぎないというか、
苦労知らずというか、
世間知らずというか。

言ってることは正論だし、
同意はできるけど、
きれいごと過ぎて一部にしか
広まらないだろうなあという考え。
心にゆとりがある人じゃないと無理だねえ。

それと彼は世教と世外教で分けてるけど、
世教派なんだろう。
簡単に言うと哲学か宗教か。
世教はこの世のことを説いて、
世外教はこの世の外のことを説く。

一般的に見れば、
論理と非論理だからね。
どうしても論理に肩入れしたくなるってものだよ。
納得の度合いが違う。

しかしながら、
まだ今のところ論理は
すべてを解決してくれるものではなく、
どこかで行き詰まりが発生する。
道徳=真理ではない。
それもまた一つの主義とならざるを得ない。

残念なことだけど、
善悪そのものの判定も
いまだ出来てない状態だから。

それだから、
彼は自問自答で、
日本の道徳の構築について、
「一定の主義を確立した上で、...(中略)...すべて私の主義の註脚となって、......」(p.67)
と、自分で言わないといけなくなってしまう。
となれば、
今度はお前の主義を
全国民に適用する道理はどこにあるかと聞かれるだろうし、
どう答えるのだろうなあ、
なんて思ったり。

小沢章友『女子大生がヤバイ!』

新書の体裁をとってはいるものの、
これはもう立派な短編集。
しかもちょ→出来がいい。
こんな面白いストーリーが
いっぺんに楽しめるなんてお得!
そんな感じです。

合間合間の
年頃の娘を持つという
おっさんの解説も悪くない。
控えめで、
でしゃばってこない感じがいい。

一応感想とか述べてるけど
たぶんそんなに大事なとこじゃない。
適当に流して、たまに
おっ、いいこというな
とか思うぐらいな、
ほとんど空気的な扱いで、
私は読んだ!

この本のタイトルで、
結構まじめな読者を逃していると思う(笑)
だけどこれ読まないのはもったいない。
小説好きならなおさら。
ついでに今の女子大生の筆力まで知られる!
うまいわー
よく書くよー
私無理かもー

すっごいぐっろい話
書いてる子が、
普段小説なんか読まない発言してるけど
きっとほかのとこで、
たとえばweb上とか、ゲームとか、マンガもか、
どこかしらでテキストに
触れる機会は持ってるんだよねー?
そうじゃないと
こんなの書けるなんて信じられないよ。

私的にはー
「ヤバイ!」がヤバイよねー。
くだらないけど好きーみたいなー。

最近の女子大生はすごいわー。

                      

ヤバイ
もう3月も31日、
今月更新できない!
と思って、
急いで手元にあった
この本を読んでみたわけですが、
読んでみるとこれがすこぶる面白い。

確かに強引にでも更新しないと、
とか
ちょいと望ましくない動機のもとに
読んだものですが、
読み始めるととまらなくなって、
一気に読めました。
本当に面白かった。

長年この講義をしている(?)
著者によると、
バブルのころは
もっと素朴でおおらかなものだったのに、
最近のはなかなかすごいということで、
この変化はいったいどこから来ているのか、
疑問ではありますが、
そう簡単にはわからんでしょう。

最近は、草食系男子・肉食系女子
などという言葉なんぞが聞かれるようになり、
ある程度男女間の
精神構造みたいなものが
変わりつつある?
のかどうか、
社会の流れとどうかかわって
出来上がったのか
興味深いものではあります。

自分で調べるのは難しいので、
優秀な社会学者様がたの調査が待たれるところです。

後になってどのような表現がされるのか、
今はまだ現在進行の段階でしょうから、
結果はもう少したってから出てきますよね。

しかしこの先価値観は、
どう変わってくるのでしょう。
どうも今の感じだと
先が細ってくるような
ヴィジョンばかりが浮かぶというか、
今回の地震のこともありますし、
未来がいまいちよろしくない感じが
いたします。

ちょっと話が脱線気味になってました。
そんなことより、
女子大生の文筆がすごいんです。
どこでこんなの覚えてきたんだ。
素人がゼロから物語を
構成していくというのは
とても難しいことです。
だからある程度、
経験的なものが
混じってきているだろうと、
私は思うわけです。

だとしたら、
彼女らは、
思ってたよりも結構すごい
体験をしてる感じが、
私にはしちゃうのですよ。
大人だねえ。

ほんとに人間ってほっといても
勝手に育っていっちゃうよなって
改めて考えさせられます。
いろんな経験して、
いろんなこと考えて、
そうやって年とっていくよね。

女子大生ヤバイよ。
先生は大変だね。
下手なアドバイスなんてできないもんね。
相手は割と大人だしさ。

それにしてもこんなの本にしちゃって、
今後の講義に支障きたしたりしないのだろうか。

あの先生の講義受けると、
あとで本にして晒されるよー

みたいな(笑)

福岡伸一『生物と無生物の間』

購入してから4年。
今まで何度となく
読もうとして読まなかったうちの一冊。
最初の30ページだけなら
5回以上読んだのではなかろか。
読むたびに、
あーすかした文章だなあ
とか思いながら別のことを
はじめてしまってた。

改めて、
31日だー、
そいえば何も書いてなかったー
と、思い、
一気読み。

びっくりするぐらい面白かった。
DNAのことは、
用語だけ知ってたけど
実際のつながりが
さっぱり
わかってなかったことがあって、
これ読んだら
パズルのピースが
次々はまっていくような
感覚にとらわれた。

理系読み物で
こんなにわかりやすくて
面白いと思ったことないかもしれない。

まあ普段から
そんなのあんまり読んでませんが!

どの章を読んでも
わりとまとまってて読みやすい。
9章とかやばい、
文章の天才かとおもた。

砂浜の比喩に始まって、
そこから生命の動的均衡を語るとこ
完璧すぎて何これうますぎ嫉妬。

こんな刺激に富んだ読み物
なかなかないんじゃないかな。
別にこの本に書いてあること
ぜんぜん全く知りもしませんでした
っていうほどではないんだけど、
非常にわかりやすく、
イメージしやすく書いてくれるおかげで
より自分の中に強烈に入り込んでくる。
まさに、
ああそういうことだったのかって感じ。

理論だけでなく
人物のほうも結構取り上げてるから、
ロマンとか情熱とか
そういうものにも不足しないね。

推薦文で
茂木健一郎も言ってるけど、
本当に文章がうまいと思う。
こんなに読ませる文章が
書ける人間は本当にまれ、稀有。
すばらしい。

ぜひ最初の風景描写に投げ出さず、
ちゃんと読むべき。
わたしのことですね、すみません。


・・・こういうものを取り上げると何か生命とはなんぞやとか語らなきゃいけない気がしないでもないのだけれど、大変そうなので割愛。

しかし生命に時間が強く影響し、不可逆性が生命を根拠付けるものとなるという結論(?)には、そのまま同意したい。いや、ほら、わたしだって似たようなことかんがえてたよ? ちょっと言葉でうまくいえなかっただけだよー
ほんとドラマチックで読みやすい本だった。
ちょっと感動しました。


いつからこうも本の感想一つ書くのにもぎりぎりでやらなきゃいけなくなったのやら
われながらなさけないかぎり

永井均『<子ども>のための哲学』

私にとっての私の特別さは、あなたにはわからないけど、
同様にあなたにとってのあなたの特別さは、私にはわからないね

第一部まとめ

ってことであってますよね?

この本はタイトルに引かれた。
文体まで妙な言葉遣いになっているが、
子供を意識してなのか。

第一部では、
私とは何なのかという風な問題だが、
要約すると上の通りだと思った。

地球上にいっぱい人がいるけど、
何で私は私なんだろう。
みんなとの違いってなんだろう。
60億人もいる人間の中で、
私はただひとり「私」で、
他の人はすべて「他(の)人」に
なってしまうってどういうことなんだろう。
たったひとりの「私」って
どれだけ特別なの。

子供のころはまるで
自分がこの世界の
主人公であるかのように
錯覚しがちだったかもしれません。
自分にとっての
自分というのは
すごく特別に思えて、

実際のところ、
自分は大多数の人間の中の
たった一人、
ちっぽけな存在でしかなかった、
なんでもないただの一人であったと、
気づくようになるのは
青年期ぐらいからなんですかね。

とはいえ、
やっぱり自分にとっては
この自分こそ特別なわけで、
自分と他人をどう区別するか、
どう違いを見つけるかと考えたときに、
人はそれぞれの世界を持っていて、
一人一つの世界で、
一つの視点でのみ自分を認識する、
他の世界は認識できないし、
視点も持ち得ないということになる。

私には私の世界があり、
その中で、
私は私の見方でしか
私を見ることはできない。
もちろんほかの人のことは、
私が私を見るようなやり方では、
見ることができない。
そしてそれは他人にとっても同じこと。
こんなかんじでまとめちゃいました。

おそらく言ってる内容自体はたいしたことがない。
ただそこにたどり着く経過が大事。
世の中何でも自分の納得できるような仕方で
物事を納得していかないと、
前に進めない人だっている。

普通の人がごく普通に生きていくような、
子供が抱くような
ちょっとした純粋すぎる疑問など忘れて、
すんなり大人になれる人とは違って、
いちいち突き詰めて考えてからでないと
スタートラインにすら立てない人がいる。

哲学というのは、
何もせず水面に浮かんでいられるような人よりも、
ほうっておくとずっと水中に
沈んでしまったままになるような人が
水面に浮かぶために取り組んでいくものでもある。

著者が言いたかったのは
結局終わりのほうに
集約されていると思った。
いちいち第一の問い、
第二の問いというふうにだしているが、
そんなもの
果てしなくどうでもいいものだったなというのが、
最後まで読んでみての感想だった。

子供が疑問を持って生きようとすることに、
全力で肯定したかったのだろう。
著者自身それを言うために、
結局自分の説を紹介しながら説くという
スタイルにならざるを得なかったと述べるが、
やり方としては王道かなと思った。

印象深かった部分を引用しておこう。


たとえば、たとえみんながぼくのことを誤解していたり、ぼくがぬれぎぬを着せられていたりしても、ぼく自身だけはほんとうのことを知っている、ということがある。だれもけっして信じてくれはしないが、でもほんとうはそうであること、というものが確かにある。ぼくだけは、それがわかっている。それでいいではないか。誰も味方がいなくても、ぼくには真実があるのだ。ぼくは現実の世界では負けたように見えるけど、ほんとうは勝っているのだ。
 処刑されていくソクラテスの快感は、おそらくこれに似ていただろう。この快感の根底には、他者に対する深い深い侮蔑がある。
(p.185)


見事に私自身のことを言い当てられたな、
と自覚した部分がある。
おそらくこの著者も同じだろう。
他者に対する深い深い侮蔑
何でそんなに深さを強調したかと思うが、
やっぱり深いんだろうな。

ごちゃごちゃと物事を考え込んでいると、
その疑問はかなり限定的で、
理解してくれる人、
考えに興味を示せる人は、
ごくわずかなのではないかと、
そういう気持ちになってしまわざるを得ない。

先に出た水中だのという話で言えば、
私自身はほっとくと
水中に沈む人間なのだろう。
世間の人は大体勝手に
浮かぶ人が多いのだと思い込んでいる。
だからこういう話は
世間の人にしてみても、
きっと相手にしてもらえない、
場合によっては
変な人と思われるかもしれないと、
感じる。

その意味で、
私は他人のことを信用せず、
きっと侮蔑的なのだと思う。
所詮理解できない連中だと、
決め付けているのだと思う。
だがそれが
単なる思い込みに過ぎないこと
という可能性も否定はできない。
本当は多くの人が
それを理解できるのに、
馬鹿にして
心の中で侮蔑しているということが
ありうるんじゃないかなあ。
どうかなあ。

でも必ずしも他人に理解してほしいわけでもないし、
やっぱり語る必要もない部分っていうのは
ないでもないねえ。

しかしこうして
ネットで書いていくというのは、
人が大勢いるから
理解者を期待できたり、
書きっぱなしで
見たい人だけ見ればいいっていう
気楽さもあるんだねえ。

ところで、
何かビビッときた言葉をここに一つ残しておこう。
哲学とは本来、究極のわかりやすさそのもののことなのだ」(p.199)

「わかりやすさ」は私の中に昔からあるとっても大きなテーマです。

新谷尚紀(たかのり)『「お葬式」の日本史』

葬式を中心にすえて
日本史を見ようということで、
新書らしく読みやすい印象。
時代時代の具体例が
様々に引き出されており、
わかりやすい。

葬式というのは、
それが行われるとき
すでに当人はそこにいないのであって、
では一体それは
何のためにあるんだって。

そんな問いを出せば
やはり残ってる人間のためだろと
答えがでてくるのであり。

「薄葬」といって
葬儀の簡略化を命ずる詔が
大化の改新の折にちゃっかり出てくる。
そんなことを命ずる必要があるほど、
昔から見栄を張って
豪勢な葬式をやろうという動きは、
貴族たちの中で存在していた。
今も昔も変わらずということなのか。

個人主義的観点から、
当の死者にとって
葬式などおそらく意味はないと思われる。
いくら豪勢に行われたからといって、
本人はそれに気づけないし、
それで極楽浄土の往生が
約束されるわけでもあるまい。

されてるほうの本人に
メリットはきっとないのだ。
うん、そうにちがいない。

それではなぜ葬式かというのは、
お金持ちにとっては
見栄を張る必要がある。
現代においても、
葬儀もまともにやらないのでは、
親戚、ご近所さん、会社の同僚など
様々な他人から
こいつ頭おかしいと
思われかねないリスクがある。
ゆえにお葬式は
きちんとしなければならない。

でもどうしたらいいかわからない、
身内が死んだという
非常事態にパニック状態
ということがあるので、
現代では葬儀会社が大活躍。

葬儀会社は置いといて、
身内の不幸という
ショックを葬式という行事の中で
自らを忙しくし、
悲しみをまぎらす
というのも葬式をあげる理由の
一つに挙げられる。
それももっともなことだ。

そしてお葬式という行事で
最後のお別れという区切り、
けりをつけるというのもある。

書きながら理由が
山ほど現れそうになっていて
私はもう絶望しそうになった。
もうやめにする。
そんなもっともらしい理由は
どうでもよいのだ。
私が思うのは、
ただただ
葬式なんてやりたくないと
いうことなのだ。

身内が死んで
葬式するのもいやだし、
自分が死んで
葬式されるのもいやだ。
こんなめんどくさいもの
なくなっちまえと思う。

いやでも
本当にしないわけではないのだ。
そりゃ身近な人が死んだら
葬式するさ。
それくらいの
礼儀みたいなものは
持ち合わせてるつもりだ。
めんどくさい儀式ではあるが、
その儀式の中で
適当に感傷にでも浸るわ。

でも自分のこととなったら
やっぱりやめてほしいのだ。
何もせずにぱっと焼いて、
そこらへんにほりすてて
に還してください。
でも可です。

しかし残念ながら
これが自分のわがままだと
いうこともよくわかる。
天涯孤独の身でもなければ、
許されざる願いだろう。

私が死んで悲しむ人間が
いるかどうかちょっとわからんが、
もしいたとしたら
こういう願いは申し訳ないのである。

でもやはり個人的には、
先祖供養だとかは
くそ食らえだと思うのです。
人は今を生きるべきだと思います。
ただでさえ生きていくのは大変です。
過去の人間なんて気にせず、
自分のことだけを考えて
生きていったらいいじゃない。
そんな風に考える。
どうよ、
考え方がイマドキっぽいでしょう。

この本の最後に紹介されるのは、
本田宗一郎の社葬。
最後を飾るにふさわしい
美しいエピソード。
なるほど彼は大勢の人に愛された。

こういう人が
自分のために
葬式をしてくれるな
などといってしまえば、
それ自体が悲しみを
生んでしまうであろう。
彼を本気で追悼したい人間が
山ほどいるのだ。

こういう人間にとっては、
その最期の儀式は、
その偉人を飾る最後の
エピソードとなるのだろう。

日本史なのに、
あんまり歴史のことは考えなかった。
別に今回は
歴史を学びたかったわけじゃないからね。
これでいい。
新書っていう軽さも気楽。
気楽に生きたい。

菊地章太『葬儀と日本人――位牌の比較宗教史』

先祖崇拝など
もともと仏教に存在せず、
儒教に冒された考えであり、

寺の日常における
空気っぷりは
葬式のときだけ
でしゃばる葬式仏教と揶揄され、

一体葬式とは、
供養とは何なのか。
死んだ人間に対する儀式が
何の役に立とうものか。

こういう疑念が現れて、
昨今の葬式の多様化に
つながっていくのであろう。
本当に意味のあると
思われるような葬式が
求められている。

だがしかし、
従来の葬式仏教にも
意義はあるだろう。

何事かをしなければ
生きているものの心が
晴れない。

これまで行ってきた
葬儀法要は、
確かに本来の
インド仏教などと
照らし合わせてみれば、
おかしなことだらけであり、
政治とのかかわりさえ
持ちながら形成されてきた
胡散臭さ爆発行事であったと
いわざるを得ない。

それでも
このなんちゃって仏教による
これまでのやり方が
すでに多くの人の中で
なじんでしまっても
いるのであり、
いまさら変革を求めるのも
苦労である。

既存の風習を
否定する必要はあるか?
必ずしもそうではない。

たとえば位牌とは、
仏壇とは、墓とは、
一体何の意味があるのだろうか。
これらは歴史をたどれば
本来から離れ、
日本に独特の形があると
見られているところも多い。

特に位牌の中に
霊魂が宿っているなど
他の文化圏から見れば
驚くべきことであるらしい。
仏壇などメーカーが
高い買い物させたいだけだろ。
霊園の中で
~~家代々之墓などという墓石が
並んでいるのも
歴史的には意外と浅い。

ゆえに歴史的、
宗教学的に冷ややかに
現在の風習を見下し、
否定することは
可能ではあるかもしれないが、
生きている人たちにとって
重要なのは、
それが正しいとか
間違っているとかいう
学問の立場からの
指摘ではなくて、
もっと感情的なことである。

霊魂がどうこうといった問題は
それが実体として
あるわけではないから、
故人が位牌に宿り、
また墓石に宿るという考えは
別に存在してもかまわないし、
骨なり灰なりを
ペンダントに入れることや
手持ち品に加工してしまう
というのだって
考えようとしてはありなのだ。

そこにあるのは
宗教的な考え云々ではなく、
素朴な人々の心情であり、
思い出を大切にする心である。

そしてそれは
時間がたてば
忘れ去られてもしまうような
あやふやなものでもある。
忘れたっていいじゃないか。

我々が行ってきたことに対して、
宗教的視点で考えるのではなく、
民族的風習として、
生活の行事として
捉える視点も重要なのかもしれない。

いたく感動したのであるが、
どうもうまくそのあたりを
文章で表現できそうになかった。
残念だ。

墓が故郷との
連想を持つというのは
かなり興味深かった。
墓があることによって、
自分がどこへ出て行っても、
帰る場所があるという安らぎ。
思い出の大切さ。
自分でもやすい言葉を
並べている気になるが、
しかし納得はできる。
心情が大切なのは
まさにもっともなことなのだ。
ごちゃごちゃした感想だが、
こんなもんだろう。

                           
以下簡単に本書案内
まず新書という体を
とりながらも、
これはこの人の
研究書として
大成している。
難易度はかなり高い。
専門用語が
次から次へと出てきて、
私はほとんど理解していない。
大体のところは
読み飛ばしていった。
理解できそうなところだけ
ちゃんと読んだ。
それでもすごく勉強になった。
知らないことがたくさんあった。

そしてずーっと
気になっていたのが、
途中に入るイラスト。
何かを狙ったのか…?
いやしかしこれは
読者対象間違えてないか…。

ゆるい絵で、
かわいい少女たちが
ところどころで
迎えてくれるわけだが、
最初は出版社が
おかしな方向に
がんばったんだろうかと
考えていた。

しかし
最後まで読むと
著者が言及しており、
大学のゼミの女学生が
描いてくれたと。
…そうか、
私の考えすぎだったのだな。
なっとく。

橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』

キリスト教が
よくわからない人に
わかりやすいように、
二人の対談形式がとられている。
読みやすいし面白い。

話が中途半端なまま
次の話題に飛ぶこともあり、
物足りなさを感じることも
あるかもしれないが、
それは仕方ない。

話の内容も
鵜呑みにしていいものかどうか
判別できないものも多くある気がするが、
やっぱり仕方ない。

この本を読むのに
一番適しているのはどんな人だろう。
ほんとの素人が
これを最初に読み始めると、
この人たちは敬虔な信者とかではなく、
その正反対に近い立場から
読んでいるように思えるので、
若干目が曇るのではないかとも思う。
宗教(キリスト教)への
否定的バイアスが増すかも。
いやまあどうせ日本人なんて
最初から宗教嫌いなんだけども。
でもって私も似たようなもんだ。

否定するようなとこから入ったけど、
やっぱり読みやすいし、
納得できる部分も多いので、
読んで損とまでは言わない。
既によく知ってるという人ならすすめない。

                         

日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。(……)
 (……)日本人が神に支配されたくないのは、そのぶん自分の主体性を奪われるから。日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌い。と考える人びとなのです。(p.330)


久しぶりに無神論の話。
「あなたは神様を信じますか」
「いいえ、信じません」
「よろしい、ならばあなたは無神論者だ」
こういうのは
ちゃんとした無神論ではない。
問題なのは態度である。

神を信じていないという
態度を貫いてこそ
無神論者となれる。

ところで神を信じないと
言い張る上で、
この世界に対する
不完全性を言い立てる人がよくいる。
たとえば
全能の神が創ったこの世界は
なぜこれほど醜いか。
困ってる人が
いっぱいおるから助けろ。
気持ちはわからないでもない。
しかしそれは甘えである。

神が人間のためだけに
活躍してくれるとは限らない。
神がそんな人間的な
優しさに満ちた存在であると
誰が決めた。
人間の価値観を
勝手に当てはめてよいのか。
さらに言うならば、
今こうしてわれわれ人間が
生きているということ
そのものが奇跡なのではないか。

この世界には
科学的に表現されうる
多くの法則が存在する。
その法則を
神が創っているとすれば。
もし今この大気の酸素を
すべて奪うということが
可能であったら。

ちなみにユダヤ人が信じた神、
いや信じざるを得なかった神とは、
こういうとんでもないことを
やりかねないような
恐ろしい神だったのではないか。
(ノアの方舟で前科もあるしね)

ではまたここで引用。

橋爪さんは、宗教社会学についての著書の中で、宗教とは何かということについて、抽象的な定義を与えていますね。宗教とは、行動において、それ以上の根拠をもたない前提をおくことである、と。独特の、証明されざる前提みたいなものを置いて、行動の前提にする。宗教をこのように広く捉えると、ほんとうの意味での無宗教とか、無神論というのは、ほとんど不可能なのではないかと思ったりもします。(pp.329-330)


全く同感でっす。
どうにもならんですね。
最近無神論というテーマを
深く考えなくなりましたが、
正直まともな回答が
出そうにないなっと。
上の定義を考えると
哲学が真理を探してるのも
やっぱり宗教っぽくなってきますね。

真理という
確固たる土台をつくっておけば、
我々人間は努力によって
着実に進化を遂げていくことが
できるじゃないですか。

もし正しいかどうか
わからないものの上に
知識なり歴史なり
積み重ねていっても、
もしその前提が間違っていると
後になってわかったら、
すべては水泡に帰してしまう。
そんなのいやじゃないですか。
真理があれば
われわれは努力によって、
着実に前へ前へと進んでいき、
人類の進歩を実現する。
まさにばかげた
夢物語であったかもしれません。

この世界に真理というものはなく、
ただあるのは現実だけ。
その中でどのような動きをするかはすべて、
すべての主体にゆだねられている。
生きるも滅ぶもわれわれの自由。

宗教とは、
すがるものを必要としていた
人々が発明した精神安定剤。
それを信じることは愚かか。
そうではない。
自分が安心できる
よりどころを持つことは幸せだ。
でもそんなものは
欺瞞に満ちていると
考える人は、
自ら苦難の道を選んでるって
ことになるのかもなあ。
努力努力ったって
解決しないことは山ほどある。
私は思うよ。
何でもあきらめが肝心。

プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

Lc.ツリーカテゴリー

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム

FC2カウンター

リンク

RSSリンクの表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。