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はじまり

今までキルケゴールのことを云々かんぬんしてきましたが、
やっとそれなりの形になったので、
一挙公開といきましょう。
量はおよそ6万字、
新書サイズで考えると100ページくらいですから
よほど興味あるか、暇な人じゃなきゃ読めませんねえ。
それにキルケゴールに興味あろうと、
所詮素人の書き物ですし、
ほんとに誰が読むんでしょうねえ。
まあ、つべこべ言わずに始めましょう。


本記事は、タイトルにある通り『死に至る病』の解釈と、「主体性」に関する若干の考察を目的としたものである。これらはセーレン・オービエ・キルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard, 181355日~18551111日)によって書かれ、唱えられたものであり、彼自身について一言で言い表すのは難しい。著作家、哲学者、心理学者、神学者等々、こういうものを混ぜ合わせたら彼になるかもしれない。
構成の方は全3章となっており、各章とも3節に分けた。実に分かりやすい構成となっている。
1章はキルケゴールの生涯を扱っており、解説書でよく取り上げられるようなところをピックアップしている。ただ第3章との関係もあって、コルサール事件や教会攻撃といった批判ものを少し強調している。本当のところを言えば、なくてもよかった章である。個人的に、人の思想について学ぶのに、必ずしもその人の生涯を知ることが重要ではないという考えを持っており、今回も特にその必要性を強く感じたということはなかった。どうしてもそれが知りたければ、自分で適当に解説書を一冊でも読めば済むことである。しかし一応書くことに決めたので、日記の記述を増やして、少しでもマシなものにしようという努力はしたつもりである。
2章は『死に至る病』の解説であり、私が一番に考えていたものである。どうして哲学書というのは、こうも読みにくいのか。学者たちの陰謀か何かか。実際、訳されたものの中には、わざわざ難しい言葉を当てていることもあるとかで、元の言語で書かれたものを読んでみると、実はそんなに難しくなかった、ということもあるようだ。そこで私は『死に至る病』について、自分が理解したことをできるだけ易しく伝えたいと考えた。これが『死に至る病』になったのは偶然で、どれでもいいから選んだらこれになったというだけの話である。この本の訳が悪いなどと言う気もまったくないので、おかしな勘違いはよしてもらいたい。
3章は「主体性」の考察である。最初は大して乗り気でもなかったのだが、キルケゴールを調べているうちに、重要だと思えるようになったこと、やっているうちにある点で、私が抱いていた問題意識と重なったことがあり、やる気が増した。しかしそのこともあって、少し現代的、主観的視点が混ざっており、キルケゴールに付かず離れず、ギリギリのところを縫っていったという感覚が少なからずあった。そのため、素直にキルケゴールの「主体性」を考察したと主張できない「うしろめたさ」のようなものがあるわけである。
これで構成については述べ終えた。読みにくい文章を読まされるときの苛立たしさは、私自身十分理解しているつもりなので、全体的に分かりやすい文章を心掛けてはいる。それでも頭を使わないと理解できない部分も出てくるかもしれないが、分からないなら分からないで、飛ばすなり何なりして、気楽に読んでいってもらえれば幸いである。別に分かりやすさのために文脈無視した引用をしたということもないから、そう硬くならないでもらいたい。おせっかいめいた註や言い回しにくどく感じることがあるかもしれないが、これも大目に見てもらいたい。分からない人というのは、分かる人にとっては取るに足らないように思えるところで、つまずいているものなのである。
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