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レギーネとの関係と日記

こちらを一緒にどうぞ。

1837
(キルケゴール24歳、レギーネ14歳)
5月9日 レールダム家にて、初めてレギーネの姿を確認する。
 
1840(キルケゴール27歳、レギーネ17歳)
 7月3日 大学神学部の牧師試験に合格。
 7月19日~8月6日 父の故郷ユラン地方を旅行。
 9月8日 レギーネにプロポーズ。
 
ピアノのくだりからの続き。「…ピアノの上に投げやる、そして私は言う、ああ音楽のことなんか構わないのです、私が求めているのはあなたなのだ、私は二年間あなたを求め続けてきたのです。…しかし彼女がスレーゲルへの関係について述べた時に私は言った、それではその関係は括弧に入れた挿入句にしておきなさい。何といっても私が第一抵当権を持っているのだから。」(大谷『許嫁への手紙』,pp.206,207)
 
9月10日 承諾の返事を得る。      婚約直後、「私は過った」
 
1841(キルケゴール28歳、レギーネ18歳)
8月11日 婚約破棄
10月11日 2か月かけて、レギーネとの関係を完全に断ち切る。絶交状態に。
 
私の許嫁は最後に私に尋ねた、「唯一つのことだけ言って下さい、もう決して結婚はなさらないつもりですか?」(大谷『日記』p.52)
「そう! 10年間して私の心がすっかり静まり、また疲れたら、もう一度若返るために可愛い若い娘さんを持たねばならぬでしょう。」それは残酷だった―確かにそれは残酷だった。だがそれをしなければならぬということもまた残酷な程つらかった。そしてもし私がそれをしていなかったなら、そして全て別様にしていたら、彼女は今婚約しているだろうか?(この日記は1846年に書かれたもので、婚約はスレーゲルとのことを指す。) 否。もし私が心に思う所を率直に言っていたなら、即ち、いいや私はお前と以外には決して結婚しないのだ、と言っていたなら―その場合には彼女はその私の言葉に固守しただろう。(大谷『日記p.37』
 
彼女は私に尋ねた、あなたはもう決して結婚しないつもりですかと。私は答えた、そう十年間は、しかしもし私の気分が静まった時には、若返るために若い血潮のお嬢さんを得なければならないと。どうすることも出来ない残酷さ。それから彼女は言った、私があなたにしたことを許して下さいと。私は答えた、それは私が云わねばならないことですと。彼女は言った、私のことを考えると約束して下さいと。私はそうした。彼女は言った、接吻して下さいと。わたしはそうした――けれど情熱は無しに。おお可哀想に。(大谷『許嫁への手紙』p.214)
 
1841年の日記より(婚約破棄前)
君(訳者注:スレーゲルのことか)は、「彼女美しかった」という。おお、がそれについて何を知っていよう。私はそれを知っているのだ、なぜならこの美しさのためには私の涙がたくさん流されたのだ――彼女を飾るために私は自ら花を買った、私はこの世にあらん限りの飾りをみな彼女に着けようとすらした、もちろんそれはただ彼女の優美さを際立たせるの役立つと思われる限りでであるが――そして彼女が盛装を着け颯爽と立った時に――その時私は出ていかねばならなかった――彼女の心から楽しそうな、活気のある喜びに溢れた眼差しが私の視線に出会った時に――その時私は出て行かねばならなかった――その時私は外へ出て、そしてさめざめと泣いた。(大谷『日記』,pp.22,23)
 
10月25日~翌年3月6日 第1回ベルリン旅行
 
1843(キルケゴール30歳、レギーネ20歳)
4月16日 復活祭の日、フルーエ教会にてレギーネの会釈を受ける。
 
彼女は二度頷いた。私は頭を振った。それは、お前は私を棄てなければならない、という意味だった。すると彼女は再び頷いた、それで私は出来るだけ親しく頷いた。それは、お前は私の愛を保持している、という意味だった。(大谷『許嫁への手紙』p.219)
 
5月8日~5月30日 第2回ベルリン旅行。
7月 レギーネとスレーゲルの婚約。
10月16日 『おそれとおののき、弁証法的抒情詩』と
『反復、実験心理学の試み』同時出版。
 
1847(キルケゴール34歳、レギーネ24歳)
11月3日 レギーネとスレーゲルの結婚式。
 
1849(キルケゴール36歳、レギーネ26歳)
7月26日 レギーネの父、亡くなる。
 
11月21日 「<彼女>に関する最後の処置」と題される日記を書く。
私の死後、著作は彼女と私の亡父に捧げられるべきだという私の意志は変わらない。彼女を歴史に属させる。(大谷『許嫁への手紙』p.240)
 
上の文章に関する訳者の見解
「…ここに最後の意志表示をなして彼女を『飾り』歴史的な盛装を装わしたものと言える。1849年と云えば、彼の主著の大部分は既にこの世に出で、立派に式場長の資格を名実共に自認出来たのである。」(同上p.241)
 
1855(キルケゴール43歳、レギーネ33歳)
11月11日 キルケゴール死去。
 
1896
6月18日 フレデリク・スレーゲル死去。
 
1904
3月 82歳にて、レギーネ・スレーゲル夫人死去。
 


あとがき

もうひとつのほうも含めて、
本当はもう少しフォントなどにも気を遣っていたんです。
見栄えよくしようと頑張ってたんです。
でも実際こっちにのせると、
見分けがつかなかったり、
うまく表示されなかったりで、
もうトラブルだらけなんです。

それからルビなんかもふってたんですけど
なんか勝手にカッコつきにされてたんです。
やむなくこちらでは消すことになりました。

ブログの体裁ももっといろいろ
出来るようになればいいのにと思う一方、
わざわざブログでそこまでやろうとする人は、
あまりいないのだろうなあと思ったり。

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以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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