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永井均『<子ども>のための哲学』

私にとっての私の特別さは、あなたにはわからないけど、
同様にあなたにとってのあなたの特別さは、私にはわからないね

第一部まとめ

ってことであってますよね?

この本はタイトルに引かれた。
文体まで妙な言葉遣いになっているが、
子供を意識してなのか。

第一部では、
私とは何なのかという風な問題だが、
要約すると上の通りだと思った。

地球上にいっぱい人がいるけど、
何で私は私なんだろう。
みんなとの違いってなんだろう。
60億人もいる人間の中で、
私はただひとり「私」で、
他の人はすべて「他(の)人」に
なってしまうってどういうことなんだろう。
たったひとりの「私」って
どれだけ特別なの。

子供のころはまるで
自分がこの世界の
主人公であるかのように
錯覚しがちだったかもしれません。
自分にとっての
自分というのは
すごく特別に思えて、

実際のところ、
自分は大多数の人間の中の
たった一人、
ちっぽけな存在でしかなかった、
なんでもないただの一人であったと、
気づくようになるのは
青年期ぐらいからなんですかね。

とはいえ、
やっぱり自分にとっては
この自分こそ特別なわけで、
自分と他人をどう区別するか、
どう違いを見つけるかと考えたときに、
人はそれぞれの世界を持っていて、
一人一つの世界で、
一つの視点でのみ自分を認識する、
他の世界は認識できないし、
視点も持ち得ないということになる。

私には私の世界があり、
その中で、
私は私の見方でしか
私を見ることはできない。
もちろんほかの人のことは、
私が私を見るようなやり方では、
見ることができない。
そしてそれは他人にとっても同じこと。
こんなかんじでまとめちゃいました。

おそらく言ってる内容自体はたいしたことがない。
ただそこにたどり着く経過が大事。
世の中何でも自分の納得できるような仕方で
物事を納得していかないと、
前に進めない人だっている。

普通の人がごく普通に生きていくような、
子供が抱くような
ちょっとした純粋すぎる疑問など忘れて、
すんなり大人になれる人とは違って、
いちいち突き詰めて考えてからでないと
スタートラインにすら立てない人がいる。

哲学というのは、
何もせず水面に浮かんでいられるような人よりも、
ほうっておくとずっと水中に
沈んでしまったままになるような人が
水面に浮かぶために取り組んでいくものでもある。

著者が言いたかったのは
結局終わりのほうに
集約されていると思った。
いちいち第一の問い、
第二の問いというふうにだしているが、
そんなもの
果てしなくどうでもいいものだったなというのが、
最後まで読んでみての感想だった。

子供が疑問を持って生きようとすることに、
全力で肯定したかったのだろう。
著者自身それを言うために、
結局自分の説を紹介しながら説くという
スタイルにならざるを得なかったと述べるが、
やり方としては王道かなと思った。

印象深かった部分を引用しておこう。


たとえば、たとえみんながぼくのことを誤解していたり、ぼくがぬれぎぬを着せられていたりしても、ぼく自身だけはほんとうのことを知っている、ということがある。だれもけっして信じてくれはしないが、でもほんとうはそうであること、というものが確かにある。ぼくだけは、それがわかっている。それでいいではないか。誰も味方がいなくても、ぼくには真実があるのだ。ぼくは現実の世界では負けたように見えるけど、ほんとうは勝っているのだ。
 処刑されていくソクラテスの快感は、おそらくこれに似ていただろう。この快感の根底には、他者に対する深い深い侮蔑がある。
(p.185)


見事に私自身のことを言い当てられたな、
と自覚した部分がある。
おそらくこの著者も同じだろう。
他者に対する深い深い侮蔑
何でそんなに深さを強調したかと思うが、
やっぱり深いんだろうな。

ごちゃごちゃと物事を考え込んでいると、
その疑問はかなり限定的で、
理解してくれる人、
考えに興味を示せる人は、
ごくわずかなのではないかと、
そういう気持ちになってしまわざるを得ない。

先に出た水中だのという話で言えば、
私自身はほっとくと
水中に沈む人間なのだろう。
世間の人は大体勝手に
浮かぶ人が多いのだと思い込んでいる。
だからこういう話は
世間の人にしてみても、
きっと相手にしてもらえない、
場合によっては
変な人と思われるかもしれないと、
感じる。

その意味で、
私は他人のことを信用せず、
きっと侮蔑的なのだと思う。
所詮理解できない連中だと、
決め付けているのだと思う。
だがそれが
単なる思い込みに過ぎないこと
という可能性も否定はできない。
本当は多くの人が
それを理解できるのに、
馬鹿にして
心の中で侮蔑しているということが
ありうるんじゃないかなあ。
どうかなあ。

でも必ずしも他人に理解してほしいわけでもないし、
やっぱり語る必要もない部分っていうのは
ないでもないねえ。

しかしこうして
ネットで書いていくというのは、
人が大勢いるから
理解者を期待できたり、
書きっぱなしで
見たい人だけ見ればいいっていう
気楽さもあるんだねえ。

ところで、
何かビビッときた言葉をここに一つ残しておこう。
哲学とは本来、究極のわかりやすさそのもののことなのだ」(p.199)

「わかりやすさ」は私の中に昔からあるとっても大きなテーマです。

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bq69pd

Author:bq69pd
以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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