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八木透 編著『民俗学の視座―関西のフィールドワークより』

民俗学の答えは「私」なのではないか。

趣味的でない
民俗学が学問として、
目指すところはやはり
普遍、一般性であり、
これを民俗学に適用した場合、
各種儀礼、習俗などを
行うことの原初的目的が問われてくる。

民俗学は歴史学とは違うのであって、
それは何を以て違うかといえば、
歴史学が過去に起きた
たった一度の大事件を
主に扱うのに対し、

民俗学は人々が
日々繰り返す日常生活に
焦点を当てていることにおいてである。

人々が何気なく生活する中で、
食べたり眠ったり、
遊んだり排泄したり
生殖したりするが、
そうやって年を重ねながら、
また成人したり
結婚したり
死んでしまったりする。

このようなところで、
儀礼やら習俗やら
風俗やら呪い(まじない)やらが生まれ、
民俗学はそのことの意味・目的について
より普遍的に考え、それを明らかにする、
したい。

そうすることで
範囲は狭い地域を越えて、
広く人間一般について
知ることができるかもしれない。

ただ私は思うのだが、
民俗学というのは
とても狭い地域で調査が行われる。
そこでさまざまな民俗的行事に触れ、
分析するが、
実際そういうものは全て
人々のごく個人的な欲求に
よっているのではないだろうか。

そこから見出せるのは、
真理云々といった大げさなものではなく、
とても身近で、
なるほどと思える程度のもの
なのではないだろうか。

たとえば全国各地に
性器を祭るような風習が、
アホほどあるわけだが、
そんなのを見ると、
あーヤリたいんだなと思うし、
成人の儀にしてもめんどくさいのとか、
グロいのとか、
エロいのとか色々あるけれど、
そういうのが好きなんだろうな
という感じになってしまう。

雨乞いとかの儀式は
雨降ってほしいからやるし、
何かと理由つけて
特別なことするのも、
時にはちょっと
過酷なものにしてみるのも、
なんだかその方が効果でそうじゃない、
っていう
それくらいの感じで
始まったんだろうなって思えるし、
やはりそういうものは
ごく個人で考えられるような、
浅そうなものが多くあるのだと思う。

そう考えれば、
民俗学に興味を持って、
こういう祭りあるの? 
もっと俗悪なことを言えば、
エロいのとかあるの? 
などと疑問を持つ者に対して、
自分がそういうことを
考えたのなら
きっとあるだろうと
答えられるのではないだろうか。

村レベルでやっていることだから、
そういう個人的な欲求は
そこそこ通るだろうし、
ほかにも同じようなことを考え
同意にいたるのも、
そう難しくないだろうから、
個人個人がなんとなく抱いた欲求が、
いつのまにか総意になっていた
などということがあることは
あながち変な話でもない。 


これこれこういうことはあるの?

自分でそういうことがあったかもしれないと考えたなら、それはどこかであったかもしれないと考えてよい。少なくとも自分でそういうのがあったのかもしれないなあと少しでも思ったのなら、どこかの辺鄙な土地でそれが行われた可能性は十分ある。すなわち君らの言う民俗学の答えは君らの中に全てあるのだ。君である「私」がそのように考えたのなら、君以外の誰かもそう考えたに違いない。それを行動に移してる人もいるだろう。君らの民俗学は、すべて君たちだ。誰かに教えを乞う必要はない。好きに考えよ。


さて、最初の答えは、こういった人達に対する返答として浮かんだものだった。
まったくもうほんとに人間はエログロに興味津々でマゾなんだから。


しかし民俗学における答えが
「私」だというなら
社会学でも同様の結果が
得られるのではないだろうか。
範囲が狭いからどうという問題ではなく、
両方とも一人ひとりの人間によって
構成されているのだから、
社会全体に当てはめても
同様の結果が得られるはずではないか。
と、なってくると
また考えるのがめんどくさくなってくるので、
もうやめる。
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