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『国家』 プラトン

1年ぐらいかけてじっくり読んだ
最初に手に取ったとき、2000年以上も昔に書かれたものが
自分の手の中にあると思うと
何か不思議な感じがして、震えたのを覚えている

もちろん内容はすばらしいものだ
最初はいくら論理で善が勝っていようと
現実的には悪であることの方が幸せなのではないか
そう思っていた




完全な悪人は自分が悪であると周りに悟らせない
彼は誰にも気付かれることなく悪によって金をもうけ
それによって身の回りの人たちに奉仕して、国への献金もたくさんする
対して善人は全く私腹を肥やすことをしないから
家は廃れていくし、正義に反して誰かに奉仕するようなことはしないから周りからも嫌われていく

確かに完全な悪人は毎日を欲望の赴くままに過ごすことが出来るだろう
問題はそれが本当に幸せなことであるかということだ

プラトンはそういった欲望に引き回されながら送る生を
奴隷として過ごしているようなものだと言う

魂には理知、気概、欲望の3つの部分がある
悪人の魂の中では理知的部分が気概や欲望に支配されてしまっているのである
善き人は理知的部分によって気概や欲望を制御する
そして悪人が求める快楽は欲望の快楽であり
善き人が求める快楽とは知による快楽である

欲望を満たすことと知を満たすことのどちらがより快楽を得られるか
答えはもちろん後者によってである
これをプラトンはどちらがより真実在に近いかということを基準に決めている
欲望を満たすものは常に変化し、片時も相を保つことのない死すべきものと関連をもつものであり、欲望そのものも同様である
知の快楽は常に不変にして不死なる存在と真理に関連を持つものから得られ、愛知(知を愛する)もまた同様である

おいしいものをたらふく食べて食欲を満たす
いい女を囲って思う存分性欲を満たす
こういったものは真実の考え、知識、徳のようなものにはるかに劣る
いくら満たしてもいずれ渇き、完全に満たされることはない
それはまさにそういった快楽が死すべきもの、常に変化するものだからである
不死なる真実や知識で満たすことが真実の快楽をもたらすのである


この本を読み始めたとき、善であることが幸せであると
明確に示してほしいと思いながらも
そんなこと無理だろうなと考えていた
しかし今は善=幸福だと心から認められるような気がする
まだ完全にではないけれど(笑)

心の理知的部分をトップに置くことで最高の快楽が得られる
食べ物その他の欲望に関しては必要な分だけでいい
過度な欲望は全く自分のためにならない
一時的な快楽にばかりのまれていたのでは本当の快楽は得られない
まぁ必要な分だけといっても実際に実行するのは難しいんだけど

世の中には自分の考えを貫こうとする意志を阻害するものが多い
善に関しては特にそうだと思う
いくら善くありたいと思ってもそれを実現するのは難しい
そんな意志を貫くには並外れた強さが必要だ
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