09
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
   

新谷尚紀(たかのり)『「お葬式」の日本史』

葬式を中心にすえて
日本史を見ようということで、
新書らしく読みやすい印象。
時代時代の具体例が
様々に引き出されており、
わかりやすい。

葬式というのは、
それが行われるとき
すでに当人はそこにいないのであって、
では一体それは
何のためにあるんだって。

そんな問いを出せば
やはり残ってる人間のためだろと
答えがでてくるのであり。

「薄葬」といって
葬儀の簡略化を命ずる詔が
大化の改新の折にちゃっかり出てくる。
そんなことを命ずる必要があるほど、
昔から見栄を張って
豪勢な葬式をやろうという動きは、
貴族たちの中で存在していた。
今も昔も変わらずということなのか。

個人主義的観点から、
当の死者にとって
葬式などおそらく意味はないと思われる。
いくら豪勢に行われたからといって、
本人はそれに気づけないし、
それで極楽浄土の往生が
約束されるわけでもあるまい。

されてるほうの本人に
メリットはきっとないのだ。
うん、そうにちがいない。

それではなぜ葬式かというのは、
お金持ちにとっては
見栄を張る必要がある。
現代においても、
葬儀もまともにやらないのでは、
親戚、ご近所さん、会社の同僚など
様々な他人から
こいつ頭おかしいと
思われかねないリスクがある。
ゆえにお葬式は
きちんとしなければならない。

でもどうしたらいいかわからない、
身内が死んだという
非常事態にパニック状態
ということがあるので、
現代では葬儀会社が大活躍。

葬儀会社は置いといて、
身内の不幸という
ショックを葬式という行事の中で
自らを忙しくし、
悲しみをまぎらす
というのも葬式をあげる理由の
一つに挙げられる。
それももっともなことだ。

そしてお葬式という行事で
最後のお別れという区切り、
けりをつけるというのもある。

書きながら理由が
山ほど現れそうになっていて
私はもう絶望しそうになった。
もうやめにする。
そんなもっともらしい理由は
どうでもよいのだ。
私が思うのは、
ただただ
葬式なんてやりたくないと
いうことなのだ。

身内が死んで
葬式するのもいやだし、
自分が死んで
葬式されるのもいやだ。
こんなめんどくさいもの
なくなっちまえと思う。

いやでも
本当にしないわけではないのだ。
そりゃ身近な人が死んだら
葬式するさ。
それくらいの
礼儀みたいなものは
持ち合わせてるつもりだ。
めんどくさい儀式ではあるが、
その儀式の中で
適当に感傷にでも浸るわ。

でも自分のこととなったら
やっぱりやめてほしいのだ。
何もせずにぱっと焼いて、
そこらへんにほりすてて
に還してください。
でも可です。

しかし残念ながら
これが自分のわがままだと
いうこともよくわかる。
天涯孤独の身でもなければ、
許されざる願いだろう。

私が死んで悲しむ人間が
いるかどうかちょっとわからんが、
もしいたとしたら
こういう願いは申し訳ないのである。

でもやはり個人的には、
先祖供養だとかは
くそ食らえだと思うのです。
人は今を生きるべきだと思います。
ただでさえ生きていくのは大変です。
過去の人間なんて気にせず、
自分のことだけを考えて
生きていったらいいじゃない。
そんな風に考える。
どうよ、
考え方がイマドキっぽいでしょう。

この本の最後に紹介されるのは、
本田宗一郎の社葬。
最後を飾るにふさわしい
美しいエピソード。
なるほど彼は大勢の人に愛された。

こういう人が
自分のために
葬式をしてくれるな
などといってしまえば、
それ自体が悲しみを
生んでしまうであろう。
彼を本気で追悼したい人間が
山ほどいるのだ。

こういう人間にとっては、
その最期の儀式は、
その偉人を飾る最後の
エピソードとなるのだろう。

日本史なのに、
あんまり歴史のことは考えなかった。
別に今回は
歴史を学びたかったわけじゃないからね。
これでいい。
新書っていう軽さも気楽。
気楽に生きたい。

プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
バイクや車でドライブしたり、電車や飛行機で旅したりします。忙しいからブログさぼってもいいよね?

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

Lc.ツリーカテゴリー

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム

FC2カウンター

リンク

RSSリンクの表示