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西村茂樹『品格の原点 いまなぜ「日本道徳論」なのか』訳:尾田幸雄

120年以上前に書かれたものの翻訳であるが、
内容は現代と比較してそん色ない。


外国崇拝と自国蔑視の風潮
元来、日本人には、すばやくて賢い資質の持ち主が多いが、また一方で、思慮が浅く、遠大の見識に乏しく、定見がなく、みだりに他人の意見に同調する傾向があって、自立の志が弱い。
』(p.30)


いい加減耳にたこが出来そうな類のお話し。
明治以降の日本人というのは、
大体これが基本なのだろう。
いまさらどうということもないが、
この時代にもこんなことが言われてたねってことで。

哲学者はみな先人の上に抜きん出ようとし、意味もなく異説を立てて先人の説を排撃する。その説が先人の説と異なるところはわずかなのに、先人を排撃する言葉は非常に厳しい。(儒者の悪習が聖人賢者の言葉にこだわる点にあるとすれば、哲学の悪習は先人の言葉を排撃する点にある。)』(p.65)

そうだね。
くだらない言葉尻を
つかむようなばかばかしい
議論ごっこに
付き合ってはいられない。

あと哲学者は
自分でいろいろと
まだ言葉になっていないと
思えるようなものを
定義したがるので、
結果として、
はたから見ると
言ってることはあの人と
変わらんじゃないか、
ということがあっても、
本人としては、
そうと思わなかったり、
また自分自身でそれを
構築したことのほうが
ずっと大事であったりもするので、
ちょっと大目に見てあげることが
必要かも。

逆に言えば、
そういったものを学ぶ人は、
多くの哲学者について研究するのもいいけど、
大要は似通ってくるだろうから、
どこかで少し離れないと、
比較研究だけで
生涯を終えかねないことになる気も
したりしなかったり。

重箱の隅を突っつくだけの議論・研究からは
真理は見つからないんじゃないかなあ。


全体として悪くはない。
当時としては進歩的な考えの持ち主だと思う。
いろいろなところで
折衷案・妥協案みたいなのも出してて
配慮が窺われる。

ただやっぱり理想案に過ぎないというか、
苦労知らずというか、
世間知らずというか。

言ってることは正論だし、
同意はできるけど、
きれいごと過ぎて一部にしか
広まらないだろうなあという考え。
心にゆとりがある人じゃないと無理だねえ。

それと彼は世教と世外教で分けてるけど、
世教派なんだろう。
簡単に言うと哲学か宗教か。
世教はこの世のことを説いて、
世外教はこの世の外のことを説く。

一般的に見れば、
論理と非論理だからね。
どうしても論理に肩入れしたくなるってものだよ。
納得の度合いが違う。

しかしながら、
まだ今のところ論理は
すべてを解決してくれるものではなく、
どこかで行き詰まりが発生する。
道徳=真理ではない。
それもまた一つの主義とならざるを得ない。

残念なことだけど、
善悪そのものの判定も
いまだ出来てない状態だから。

それだから、
彼は自問自答で、
日本の道徳の構築について、
「一定の主義を確立した上で、...(中略)...すべて私の主義の註脚となって、......」(p.67)
と、自分で言わないといけなくなってしまう。
となれば、
今度はお前の主義を
全国民に適用する道理はどこにあるかと聞かれるだろうし、
どう答えるのだろうなあ、
なんて思ったり。

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以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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