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『すごい速読術』斉藤英治

速読の出来ない私による速読への所感
結構長々としたぐだぐだな文章。

私は精読派で、読むスピードが遅い。
日本人の平均が500字/分だそうだが、
私はそれを下回る。
3,400ぐらいかな。
(わりと本読んでるはずなのにねえ)

ただし既に知っていること、
内容の薄い新書などであれば
800~ぐらいにはなるかもしれない。
内容の薄い新書というのは、
ベストセラーとかでありがちなものである。
具体的にどれとは言うまい。

しかし基本的に、
小説を読むにしても私の読書スピードは遅い。

そんな私にとって、
速読というのは、
魅力的なスキルであるように感じられる。
内容がきちんと理解できるのであれば。

                             

速読については、
だいぶ前から言われているから、
そういうものがあるのは知っていたし、
興味もないわけではなかった。
しかしそれが本当に、
私にとって有益なものなのかどうか、
それは少し疑問なところがあった。

速読をすすめる人は、
月に何十冊も本が読める、
などと言うが、
何をもって「読む」としているのか、
本当にお前たちはそれを理解しているのか、
そんなことを考えていた。

冷静に考えたとき、
例えば自分がそういう人たち、
つまり速読をやっているような
人たちのようになりたいかと考えたとき、
どうも乗り切れないところがあった。

大体どこかの経営者が速読家として出てきたり、
今だと勝間さんとかが有名かもしれない。
こういう人たちのようになりたいかと言えば、
失礼ながら、あまり気が乗らない。
せっかちで、自分の分かることだけを
取り出してそうなイメージがある。

だから、速読なんて大したもんじゃないだろう、
と、「あのぶどうはすっぱいんだ」さながらに、
避けていた。

しかしたま~に、身近で、
「うちの息子が本ぱらぱらしてるだけで資格とってた。まともに勉強してるの見たことない」
とか何とか聞いたりして、
いやもちろんこれが
本当かどうかは分からないけれども、
でも気になっちゃう。

そんな感じで、
面倒ながらも少し速読を知ろうかと、
とうとうこの時が来たかとか思いながら(笑)
この本を読んでみた。

                          

さて、ここからやっと本の内容、
速読とは何ぞやということになるのだけども、
独断的に分けてみると、
2つの方向性があるように思えた。

1つは斜め読みで、
もう1つは単純なスピードアップ。

細かく見ると、
斜め読みタイプというのは、
自分にとって
必要な情報だけを探していくやり方。

何が必要な情報かは、
一人ひとり勘でやるしかない。
多分このやり方を間違えると独りよがりで、
偏屈な人間になってしまうのだろうなと思った。

もう1つのやり方で言われるのは、
読むときに

心の中で声に出して読むのをやめること、
文字を追うスピードを速くすること、
文字を見る範囲を広げること。


大体こんなこと。

要するに基礎的なスピードアップの方法論で、
こちらは、もし出来るようになれば、
確かに強いかもしれない。

分かるだろうが、
心の中で声に出していれば、
それだけ読むスピードは遅くなるし、
また視点を移動するスピードを上げれば、
視点の移動中は理解がストップしているそうであるから
その分得られる文字量は増加する。

ちなみに文字を見る範囲、
1度に見る範囲だが、
最大で見開き1ページまでいくそうだ。
最初は3文字でも5文字でもいいが、
基本的には見る範囲の中心に焦点を当てる。
そうして目だけを動かし、
視るのだそうである。

多分新聞などを読むときは
みんな無意識に似たようなことを
やっているのだろうが、
読みたい本、
読まなければならない本を読むときに、
その方法で済ませられるかは
また別の話であろう。
実際新聞の内容などほとんど覚えていない。


速読など邪道だと言い切るのは簡単だ。
実際私も同じことを思っていたし、
今でもそう決め付けたい気分ではある。
だがもし読みたくないが
読まなければならない本というものがあれば、
そいつに対しては
このスキルは有用にも思われる。

もちろん自分の読みたい本にも
速読でパパッと読んで理解し、楽しめるなら、
あるいはそれもすばらしいことかもしれないが…

あえて速読のデメリットを挙げるならば、
理解やその技術そのものの困難性はあるが、
一度にあまり長時間使えないということもある。
やはりこの読み方は疲労や負担を与えるらしく、
一般的に言われる人の集中力が耐える時間、
1.5~2時間までが上手く使える時間とのことである。

最後に、
私は速読など出来ないから、
どうしても懐疑的な見方しかできない。
だからと言って
全く認めないというわけではない。
本をぱらぱらめくるだけで
分かるなどという連中を見て、
「バカな」と思いつつも、
人間の視る力と理解力を
私が過小評価している嫌いが
あるかもしれないということを、
否定することはできない。

また斜め読みに近いと言ったが、
欲しい情報を探して、
無駄な情報を切るということも、
必ずしも悪いとは思えない。
その時点で分からないことを、
時間をかけて読んでも無駄だということは、
なくもない。
他を読んでから読み返せば、
分かったという経験は誰しもあるだろう。

速読と精読は使い分けながらでも、
使ってよいものかもしれない。
全体的に回りくどい表現が目立つが、
こんな語り方しか出来ない疎ましさよ。

精読には精読の良さがあると信じているから、
それのみを追求するのが悪いとは思わないけれど。
必要な人は勝手に身に付けてしまうのだろう。


余談だが、
先日小学校で、速読の訓練をやらせているのを見た。
速読によって読書スピードだけでなく、
他の機能も研ぎ澄まされるのだそうだ。
なんとも胡散臭い話であるが、
そのような訓練で、
もし今の「老人たち」を超えるような世代が
いずれやってくるとすれば、
「老人たち」はくだらない、などといって
退けている場合ではないのかもしれない。
これも一つの適応なのだろう。

道具を使う人間に対して、
素手で戦うのは愚かな者であるか。

なんて、
これがそんな大げさな話かどうかは分からないが、
私もせいぜい精進するとしよう。

ひとまずこれで、
今の私の速読に関するレポートとして終える。

『旧約聖書を知っていますか』阿刀田高(アトウダタカシ)

以前、私も旧約聖書を少しだけ読んで、
このブログで、何事かを書いたことがある。
結局その時はレビ記までしか読まないで、
いつか読むんだと思いつつ、
放置したままである。

私が旧約聖書を読んで書いたのは、
意外と面白い物語があるんだよと、
紹介してみたいような気になったから、
…だったと思う。

今、その文章を読む気にはならないが(笑)
阿刀田高の本を読んで、
私はますます恥ずかしい思いがする。

ためしに一つ引用してみよう。
場面は敬虔な父アブラハムが、
愛する子イサクを捧げよ、と
神によって告げられた後の有名なシーンである。

「お父さん?」
とイサクがつぶらな眸(ひとみ)をポッカリと開いて尋ねる。
「なんだ?」
「たきぎと火はあるけど、いけにえはどうするの?」
無邪気な声の中に、かすかな不安が潜んでいる。ここ数日の父の様子は、いつもとちがっていた。
当然の質問だろう。
イサクは何歳だったのか。父親を信じ、尊敬し、なんでも父に聞きたがる、いたいけな年ごろ……そう、五、六歳がふさわしい。
「神様が……用意してくれるさ」

(p.23より。「……」は略の記号ではない、念のため。)

別にどのシーンでもいいが、
有名なところを挙げつつ、
やはり小説家に書かせると違うな、と思った。
一つ一つ細やかに描かれていて、
場面がイメージとして鮮やかに映し出される。

この本が私にどれだけ衝撃を与えたかも知れないのに、
著者がまたこんなことを言う。

犬養道子さんの『旧約聖書物語』(新潮社刊)を読んだときにはショックを受けた。
――こんな本が書かれているんなら、もう私の出番なんかないのではあるまいか――
(p.308)

ものを書いていると
こういう思いに捕らわれることがしばしばあるのは、
分かるけれども、
それにしたってこの本は、
やはりよく出来ている。

木原武一が上手いこと解説しており、
彼に言わせると、
「基礎の基礎」が大事だということである。
「基礎」が一から始まるとすれば、
「基礎の基礎」はゼロから始まる。

これは私にもよく分かる話だった。
自分の書く字が美しくないので、
もっと上手く字を書けるようになりたいと思ったことがあった。
(今も思ってるけど。)
そこで基礎からと思い、
すぐ出来る練習帳というようなものを買ってみたのだが、
これがえらく実践的で、
上に簡単なお手本が示してあるだけで、
後は自分で真似て書いてみろという。

訝しげに下のスペースに書いてみるのだが、
お手本とは似ても似つかぬへたくそ字で、
かえって普段より汚いという有様であった。
最初がひらがなの練習で、
ページを少しめくっただけで、
見開き丸ごと使って手紙の練習とか言ってるので、
こりゃ無理だと思い、すぐに投げ出した。

文字なら普段からいくらでも書いている。
書いているだけで上手くなるなら、
こんなものは必要ない。

このときの私に必要だったのは、
基礎以前の基礎となるアドバイスだったのだと思う。
文章を書くとき全般の心構え、
書き順は大事とか、大きさがどう、位置がどうとか
そんなことだったのだろう。
(とか言いつつ、今も下手だったり。)

「基礎」とは言え、
実際に学ぼうとしたらわけ分からんというので、
そこに入ることなく、
やめてしまうことは多々あるものである。

そういうわけだから、
「基礎の基礎」なんてのがあると、
とてもありがたいもので、
そりゃあもう理解には大助かりなのである。
そしてこの本は、
旧約聖書における「基礎の基礎」として、
すばらしい価値を有しているのであって、
「日本語のわかる人ならだれでも理解できる」
とまで評されるほどのものなのである。

たまに下品だったり、
古いネタがあったりして、
気になる人もいるかもしれないけれど、
そこは目をつぶって、
読み通すだけの価値はあるはずなのである。

プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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