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『天顕祭』白井弓子

しばらく休むはずだったんだけどね。
まあいい。
これは漫画です。1巻だけです。
ぶあっついです。


面白かった。
スサノオの君かっこいい。

さて、祭りと聞くと
何かよからぬものを想像してしまうのは、
私だけではないだろう。

今でこそ、祭りといえば
酒を飲んだり、みんなで騒いだりと、
ただそのための口実みたいになってしまっているが、
昔は祭りにはそれなりの意味があったり、
物騒なことをやっていたりもした。

その代表格みたいなのが、人柱というやつだが、
この漫画の中にも、チラッとそういう描写が出てくる。
昔はそんなこともあったよね、といった文脈の中でだ。

人柱をする理由というのは何なのか。
人は、災害や疫病などの、身の回りの不幸を
何か人知の及ばぬ偉大な力(神、自然,etc.)から来るものと
思い込んでしまいがちだ。
単純に考えれば、
それを鎮めるために、人を使うといったところだろうか。

今は科学が進んできたので、
もうそういう不幸の原因を、
超常的なものに求める人は少数派だろう。
だから今は人柱なんて現実的ではないね。

と、本当に言っていいのだろうか。
ここからは、ほとんど私の妄想になってしまうが、
何か大きな不安の前には、
そんな前提は、吹き飛ばされてしまうのではないだろうか。

確かに、科学の知識は発展した。
それで、その知識を本当に自分のものとして
身に付けているものが一体どれほどいようか。
大半の人間は、ただ言われたから、覚えさせられたから、
そう思い込まされているだけ。
そんなものではないだろうか。

いざという状況で、人間が理性を保っていられるのか。
(今の人間が本当に理性的かどうか、それはまた別の問題だ。)
私は非常に疑わしく思う。
最終的に強いのは、やはり感情だ。

人は都合のいい話にころっとだまされる。
人柱を立てれば、不安は取り除かれる。
そう言われれば、その話に乗りたがるのが人間だと思う。
いくらそれが残虐だろうと、わが身が一番かわいい。

つまり何が言いたいのかと言うと、
科学の力だって、
そこですぐに不安を取り除いてくれるような
実践的なものがその場に与えられていなければ、
全くの無力であって、
そこで出来ることと言えば、
せっせと穴を掘って人を埋めるぐらい、
なんてことになってしまうのではないか、
という私の不安。


私は人の非合理性がとても怖いのだ。
これは感情で動くとかそういうことだけを
言っているわけではない。
いやむしろ感情で動いているというなら、まだ分かりやすい。
それより非合理的な、不可解としか
言いようのない行動を取る人間、それが怖い。
そして私は、そういう人間を憎んでもいるのかもしれない。


…物騒なことを論じているうちに、
物騒な感想が出来てしまったな。
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キルケゴール 読書日記・メモ

キルケゴールに関して、
読みながら思ったこと・状態などを書いていく。


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雑文・日記 2009/7/4-2009/7/31 no.28

続きを読む

キルケゴールと父

キルケゴールほど父に決定的な影響を受けた思想家というのは、そうそういないだろう、ということなので、大きく取り扱うことにした。


いったんワードで完成させてみたので、

こちらにペーストしておく。

しかしほとんど、

工藤(1968)から表現をそのまま持ってきているので、

このままでは少し不味いかなという気もしなくはない。

出来ればもう少し手を加えたい。

きちんと記事にするときは、

もちろん、ですます調になっていることだろう(笑)


キルケゴールと父

 

 ルケゴールは1813年、父ミカエルと母アンネの7人目の末っ子として、デンマークの都市コペンハーゲンに生まれた。このとき父は56歳、母は45歳であったが、そのせいかキルケゴールは病弱で体格もよくなかった。

 

・父ミカエルとセーレン

 ミカエルは卑しい身分から勤勉と商才で裕福な毛織商人となったが、アンネと再婚する頃に40歳で引退し、宗教や哲学などによる静かな内面生活を送っていた。キルケゴールの生活はほとんどこの父の財産によって営まれており、彼は父から大きく思想的影響を受けている。

 のミカエルは貧しい農民の子として生まれ、荒野で羊飼いをしながら、寒さと飢えと孤独な生活に苦しんだ。そして12歳のある日、彼は雷雨の中で絶望に駆られて激しく神を呪った。ただ一度のこの神への反抗が敬虔な彼の胸に生涯つっかえ続けた。彼はその償いの意も込めて、幼少からキルケゴールに厳しい宗教的しつけを課した。

 ミカエルが神を呪った直後に、突然親戚の招きでコペンハーゲンに出てからは、靴下商から始め、店を広げて織物や食品材料を手広く扱う卸商になった。彼はこの富裕への道をたどりながら、そこに神の手がはたらいていることを見、それがかえって神の復讐ではないかとおびえた。

 は自分が果たそうとして果たせなかった信仰による幸福を、子供たちに期待した。長男のペーターは牧師となったが、父の期待は特に末子セーレンにかけられていた。宗教的敬虔と義務を大切に考える生活を厳しく求め、セーレンも父に対する素直な愛情と尊敬の念から、父の期待に応えようと従順な努力を積み重ねた。この親子関係は一見辛く大変そうだが、それほどのものでもなかった。父ミカエルは宗教だけでなく哲学にも深い関心があり、友人を招いて哲学的議論をしばしば行っていたのだが、この論争をそばで聞き入ることがセーレンの楽しみの一つだった。ここで発揮される父の優れた弁証の才は、幼いセーレンにとって賛美と驚嘆の的となった。また、セーレンが外で遊びたいと言っても父はそれを許さず、代わりに部屋の中で子供の手をとって歩き回りながら、まるで町や海岸や森の中を本当にめぐっているかのように物語を聞かせてくれることが多かった。セーレンは父と共にする想像の楽しさを持っていたので、他におもちゃなど必要ないほどだった。

 ころで、女中上がりのキルケゴールの母は快活で気立てがよく、彼は母から陽気でユーモラスに振舞う社交的能力を譲り受けた。母親譲りのこの能力によって彼は先生や友人にも愛された。

 

・父からの独立

 1830年に17歳でキルケゴールは、宗教を重んじる老いた父の願いにしたがって、コペンハーゲン大学に入学した。彼は1834415日から20巻に及ぶ膨大な日記を書き始め、この年と翌年の1835年の日記の内容はほとんど神学に関する感想文だったが、だからといって神学の研究に没頭していたわけではない。彼はこの時期、神学よりは文学や哲学などの自由な教養を求め、多面的興味にめざめて学生たちの討論クラブやカフェや劇場に出入りし、放浪していた。こうして彼はしだいに父からの独立の道を歩み始めた。

 んな彼にとって厳しい宗教的な雰囲気に包まれた家庭での生活は窮屈で重苦しかった。この空気を和らげる役割の母は前年に亡くなっており、兄のペーターはまじめな神学者として精進を重ねながらも、父が弟にばかり期待するのを不満に思っていた。その父も、妻や3人の子供たちが32年から34年にかけて次々死んでいき、セーレンは神学から遠ざかっていき、兄と弟の仲が悪くなっていくのを見て、深く悲しんでいた。そこで父はセーレンを気分転換にと少しの間旅に出す。

 

・「大地震」と絶望、希望

 から帰ってしばらく後、キルケゴールが「大地震」と名づけた深刻な衝撃が彼を絶望の淵に落とした。「大地震」について具体的に彼は語っていないが、おそらく父の罪と、それに基づく深い不安を知らされたことだと信じられている。つまり父が子供の頃、神を呪ったことか、抵抗できない立場の女中を父が犯して、結婚以前にその子をはらませたということを知り、自分が罪深い父と母の子であることに気付いたことである。尊敬していた父がとてつもない罪びとで、自分もその罪を受け継いでしまったのだと自覚させられたことが、「大地震」の内容といわれる。

 の兄弟は1834年までの間に、7人中5人が死んでおり、一番長生きした次女と三女は共に33歳で死んでいた。このことから父は、子供たちは皆33歳までしか生きられず、自分は最後まで生きて、孤独な老年を迎えさせられるのだと信じていた。

 ルケゴールはその後ぐれて、放蕩息子となる。18367年の日記には自殺こそが最大の救いだという絶望的記述もちらつく。1838年になると恩師からの忠告もあって復帰する。そして父との和解を果たすが、それからまもなく父は亡くなった。

父の追憶、……これが私にとっていちばん貴いものなのだ。私はその姿を、世間からかくして大切にしまっておこうと思う。

 

 

工藤綏夫『人と思想19 キルケゴール』、清水書院、1968年。

 

おまけ

・大地震については最近の研究で1938年だったのではないかとも言われています。しかしもしそれが本当なら、「大地震」→遊蕩生活という解釈は崩壊します。研究者は泣く泣くこのことを調べていたりするのでしょうか。

『就活のバカヤロー』大沢仁、石渡嶺司、『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』樋口弘和

結構前に読んだ本なんだけど、
友人と会話してたら、
何か書くことを思いついた。

これから書くことはこの本の知識にもよるので、
まああげとこうかと。

就職活動だが、
昔とはずいぶんと変わってしまったものだ。
20年ほど前までは、
卒業する少し前に始めればよかったのに、
今ではどの大学に入れば就職に有利かまで考えて、
大学選びを行うのだそうだ。
(いつから大学は就職予備校になったのだろう。)

しかもいざシュウカツとやらが本格化したとして、
そこで繰り広げられるのは、まるで狐と狸の化かし合いだ。
どちらも互いに、互いを欺きあう。
なんと憐れな光景だろう。

面接官は己の目を確かであると信じ、
前にソクラテスの人事とか言う番組を見たが、あれには心底学生に同情したくなった。そこで出てくる人事というのが、ちょっとひねった質問を出せば、確実に相手の考えが理解できると思っているのだ。彼らはいつから心理学者になったのかと思うと、おかしくて仕方が無かった。それから、司会者に乗せられて、見るからに体育会系の人事が、言うこと聞いてくれて能力のある学生がいいですねとか、いかにも無能な人間の言いそうなことを平気で抜かしていた。何でこれを人事にしちゃったのか、その会社の他の人事も節穴なんじゃないかと疑った。
学生はいかにそのうぬぼれた面接官を
だまくらかしてやろうかと策略を立てる。
(騙すという点では、企業も同じようなものだ。)

そしてめでたく入社できれば、
あとはこっちのものだと言わんばかりに、
元学生たちはやる気をなくす。
会社の嘘に気付いてやる気をなくす者もいるだろうか。
ある者はサボり、ある者はやめていく。
以前別の友人から聞いた話だ。ある会社の新人営業は、監視の目も、ノルマもないのをいいことに、外で思いっきりサボっていたらしい。全くあまりにおかしくて、笑ってしまったが、その会社はそれでいいのかとたずねたら、業種を聞いて納得してしまった。やはりさっさといらない規制はなくしたほうがよさそうだ。

誰が見ても分かることだが、
面接官(会社)と学生の間には、
明らかに情報の非対称性が存在している。
(情報の非対称性?
→企業と学生は決して分かり合えないってこと)

それなのに、肝心の当事者たちは、
そのことにあたかも気付いていないかのように振舞う。
分かっていて、なお茶番を演じているならば、
彼らにとっては悲劇なのだろうが、
そんなもの端から見れば、喜劇以外のなんでもない。


さて、一応本のことももう少しコメントしておこう。
自分にはあまり関係ないという人は、
もし読むのであれば、
憐れな役者たちをあざけるなり、
笑い飛ばすなりしてあげたらいいと思います。
企業の方も、まあ参考にはなるんじゃないですか?

で、メインターゲットと思われる学生だけど、

読むな。

ちゃんと就職活動をする気があるのなら
読まないほうがいいね。
世の中知らない方が幸せなこともある。
活動してるうちに多大な違和感を持つこともあるかもしれない。
でも違和感は違和感としてとどめておくべきだ。

下手に余計な知識をつけると、
自分にとって面倒だよ。
大体、大半の学生はおとなしく社会のルールに従うしかないんだ。
無力なものだよ。かわいそうに。

せめてこの悪しきセレモニーが一刻も早く消え去ることを祈ろう。

side A『経済成長って何で必要なんだろう?』飯田泰之 他、芹沢一也・萩上チキ 編

side Aとside Bに分けてみた。
A面はいつもどおり本の感想。
B面は読みながら思いついたお話。


まずタイトルに引かれた。
でも、見た目と対話と人物に、
また別の意味で引いた。

見た目が何か安っぽい。
何だこのダンボールみたいなの。
しかも対話かよ。
おいおい出てくる人物も、
最近急に出始めたような、
声が大きいだけな感じの若造ばっかじゃないか。

かなり酷い第一印象だ。

立ち読みした限り、
飯田と岡田のエコノミスト同士の会話は、
それなりに面白そうだったから、
最悪この2人の対談さえ読めればいいか、
と思い買う決心をつけた。

で、読んでみたけど、
やっぱりこれからは若者の時代だよね!!
腰が重くて、何も出来ないジジイどもに用はないよね!!

さすがに、これはただのジョークだけど、
でもやっぱりこれからは若者の時代かなと思った。
価値観もしっかりしてるし、
何より、戦略的で実践的なところがいい。
年寄りは細々と理論体系をまとめてればいいと思った。
(どうせもう体力もアイデアも枯れてるだろうし)

それから飯田の意見にいちいち共感できた。
間違ったら修正させてくれよなんてとこも、そうだよねと思った。
一貫性がどうのこうのとよく言われるけど、
私は、必ずしも守らなきゃいけないとは全然思わない。
君子は豹変するのである。

間違えたと思ったことを修正せずに
貫き通すなんてのも馬鹿馬鹿しいと思う。
サンクコストなんて言い方もあるけど、
それはそれとして切らなきゃいけないんだ。
あまりこだわりすぎると結局、余計なコストがかかるだけ。

コミュニティ賛美の反対も完全同意させてもらう。
そんなに田舎がよけりゃお前一人で行ってろ。
地域コミュニティがどうとか、
気持ち悪い思想押し付けるな。

仮に日本全土に地域コミュニティが行き渡ったとしたら、
そのときは間違いなく、
コミュニティ疲労とか、コミュニティストレスみたいな
新しい言葉が生み出されるね。
一生コミュニティに拘束されるとか
考えただけで寒気がする。

コミュニティ信者はどこか一箇所に集めて隔離しておけばいい。
同じ理想を持ったもの同士が集まるんだから彼らも幸せだろう。


最後に、思った以上に面白い内容だった。
多くの人に読まれるべきだと思う。
最近急に出てきたような若い連中の本は
どれも感情論、思い込み論みたいなのばっかで
つまんないんだろうなあと思っていたが
どうやら思い違いだったかもしれない。
案外インテリでクレバーだった。
これを読んでしたたかさを身に付けたいところ。


念のための追記2009/7/13
コミュニティって言ってもいろいろある。
そりゃあ助け合うってことはいいことさ。
でも、地域のコミュニティを盲信するのはよくない。
本書にも出てきてるけど、
田舎のコミュニティなんて
思ってるほど、いいもんばかりじゃない。

閉鎖的で、陰湿で、意味のない習慣があって、
日本人の負の性格みたいなものが、
集まってるようなところだってあるよ。
もうちょっと現実見ないとねってこと。

だからといって、地域を潰せというわけでもないけどね。
飯田が、地方よりもっと都市に住めって言うけど、
そんなに簡単じゃないだろう、と。
国土の均衡ある発展が馬鹿馬鹿しいのは認めるけど、
そういうとこが、少し学者チック。

side B『経済成長って何で必要なんだろう?』飯田泰之 他、芹沢一也・萩上チキ 編

日本人は勤勉だ。
いや、それは違うんじゃない?
これは一体、誰が言い出したのだろう。

今、こんなことを言うやつがいたら
日本人をたくさん働かせるための戦略か?
とか疑ってしまうな。

まあそんなことはどうでもいい。
今は大して勤勉そうに見えないが、
昔は本当に勤勉だったのかもしれない。
昔のことはよく知らないが、そう仮定しておこう。

面白いたとえ話を思いついたのだ。
すなわちこれはゲームと同じだったんだよ!!

日本ではRPGが流行っているが、海外はFPSが主流だ。
念のため少し説明を加えておこう。
FPSはFirst Person Shootingの略で、
一人称視点のゲームだ。
簡単に言うと、
銃なんかで敵を撃ち殺しまくってヒャッハー!!
するゲーム。

RPGはドラクエとかFFが有名なところで、
Role Playing Gameの略。
一人でしこしこレベルを上げて、キャラを成長させて、
勇者に刃向かう最大の悪、大魔王をぶち殺しに行くゲームだ。

改めて言うが、日本人はRPGを好むとされる。
そして、私の説によれば、
それはゲームだけでなく、
現実世界にもいえるということだ。

戦後、日本は焼け野原から始まった。
ほとんどゼロからのスタートだった。
勇者(たち)の旅はここから始まったのだ。

RPGらしく進むべき場所は分かっている。
欧米の先進諸国から、最新設備の設計図や、
国家運営の見本を示されているからね。

日本はただそれにキャッチアップすればよいだけ。
それで日本は簡単に高度成長を実現するのだ。
何も考える必要はない。
ただひたすら働くだけ。勤勉そのものだ。

勇者はどんどんレベルアップしていく。
やればやっただけ成長していく。

日本はどんどん成長していく。
働けば働いただけ暮らしは豊かになっていく。

左翼との戦い、石油危機、円高不況など
数々の困難を潜り抜け、やがてバブルが訪れる。

勇者(たち)は幾多の戦いに勝利し、
平和な世界をその手に掴み取ったのだ。
こうして彼らは、わが世の春を謳歌した。
しかし平和なときは、そう長くは続かなかった。

バブルが崩壊したのである。
勇者たちは目を覚ました。
過酷な現実に引き戻されていた。
彼らはつかの間の夢を見ていたのだ。

1968年、日本はGNP世界第2位まで上りつめた。
世界第2位の経済大国 日本
その称号もあと数年のものだろう。


日本人は勤勉だ。
しかしそれは、
RPGのように日々、日本が成長していくのがうれしくて、
生活は豊かになっていって、
でも完全な平和が訪れたことで、
全てが手に入ってしまって、
ゲームは終わってしまって、
なんだかもう飽きてしまって、
結局はただのまやかしに過ぎなかったのだろう。

日本人は勤勉だ?
寝言は寝て言え。

確かに、夢は眠ってなきゃ見られない。


書いてる途中でちょっと、
いやとっても、調子に乗った。
考えてた路線から少し外れたかも。
いや、やりすぎたかも。

結局何が言いたかったのかって言うと、
今は日本よりも、中国、台湾、韓国のほうが
勤勉といわれているらしい。
じゃあ多分彼らもRPGが好きかもしれないな。

こんだけ。
つまんない? すまぬ。

聖書日記 創世記

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聖書の人名と由来 男性編:創世記

聖書に出てくる人名の中で、
由来が分かるものだけ集めてみました。
地名とかそういうのはナシです。
たぶん多くの人にとっては何の役にも立たぬであろう記事で、
何のためにあるのかすら分からないかもしれません。
でもいいんです。
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つまり私です。
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聖書の人名と由来 女性編:創世記

得られるものが、
投入する労力を圧倒的に下回っている気がしてきたので、
創世記だけでやめることにしました。
めんどい。

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プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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