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キルケゴールと父

キルケゴールほど父に決定的な影響を受けた思想家というのは、そうそういないだろう、ということなので、大きく取り扱うことにした。


いったんワードで完成させてみたので、

こちらにペーストしておく。

しかしほとんど、

工藤(1968)から表現をそのまま持ってきているので、

このままでは少し不味いかなという気もしなくはない。

出来ればもう少し手を加えたい。

きちんと記事にするときは、

もちろん、ですます調になっていることだろう(笑)


キルケゴールと父

 

 ルケゴールは1813年、父ミカエルと母アンネの7人目の末っ子として、デンマークの都市コペンハーゲンに生まれた。このとき父は56歳、母は45歳であったが、そのせいかキルケゴールは病弱で体格もよくなかった。

 

・父ミカエルとセーレン

 ミカエルは卑しい身分から勤勉と商才で裕福な毛織商人となったが、アンネと再婚する頃に40歳で引退し、宗教や哲学などによる静かな内面生活を送っていた。キルケゴールの生活はほとんどこの父の財産によって営まれており、彼は父から大きく思想的影響を受けている。

 のミカエルは貧しい農民の子として生まれ、荒野で羊飼いをしながら、寒さと飢えと孤独な生活に苦しんだ。そして12歳のある日、彼は雷雨の中で絶望に駆られて激しく神を呪った。ただ一度のこの神への反抗が敬虔な彼の胸に生涯つっかえ続けた。彼はその償いの意も込めて、幼少からキルケゴールに厳しい宗教的しつけを課した。

 ミカエルが神を呪った直後に、突然親戚の招きでコペンハーゲンに出てからは、靴下商から始め、店を広げて織物や食品材料を手広く扱う卸商になった。彼はこの富裕への道をたどりながら、そこに神の手がはたらいていることを見、それがかえって神の復讐ではないかとおびえた。

 は自分が果たそうとして果たせなかった信仰による幸福を、子供たちに期待した。長男のペーターは牧師となったが、父の期待は特に末子セーレンにかけられていた。宗教的敬虔と義務を大切に考える生活を厳しく求め、セーレンも父に対する素直な愛情と尊敬の念から、父の期待に応えようと従順な努力を積み重ねた。この親子関係は一見辛く大変そうだが、それほどのものでもなかった。父ミカエルは宗教だけでなく哲学にも深い関心があり、友人を招いて哲学的議論をしばしば行っていたのだが、この論争をそばで聞き入ることがセーレンの楽しみの一つだった。ここで発揮される父の優れた弁証の才は、幼いセーレンにとって賛美と驚嘆の的となった。また、セーレンが外で遊びたいと言っても父はそれを許さず、代わりに部屋の中で子供の手をとって歩き回りながら、まるで町や海岸や森の中を本当にめぐっているかのように物語を聞かせてくれることが多かった。セーレンは父と共にする想像の楽しさを持っていたので、他におもちゃなど必要ないほどだった。

 ころで、女中上がりのキルケゴールの母は快活で気立てがよく、彼は母から陽気でユーモラスに振舞う社交的能力を譲り受けた。母親譲りのこの能力によって彼は先生や友人にも愛された。

 

・父からの独立

 1830年に17歳でキルケゴールは、宗教を重んじる老いた父の願いにしたがって、コペンハーゲン大学に入学した。彼は1834415日から20巻に及ぶ膨大な日記を書き始め、この年と翌年の1835年の日記の内容はほとんど神学に関する感想文だったが、だからといって神学の研究に没頭していたわけではない。彼はこの時期、神学よりは文学や哲学などの自由な教養を求め、多面的興味にめざめて学生たちの討論クラブやカフェや劇場に出入りし、放浪していた。こうして彼はしだいに父からの独立の道を歩み始めた。

 んな彼にとって厳しい宗教的な雰囲気に包まれた家庭での生活は窮屈で重苦しかった。この空気を和らげる役割の母は前年に亡くなっており、兄のペーターはまじめな神学者として精進を重ねながらも、父が弟にばかり期待するのを不満に思っていた。その父も、妻や3人の子供たちが32年から34年にかけて次々死んでいき、セーレンは神学から遠ざかっていき、兄と弟の仲が悪くなっていくのを見て、深く悲しんでいた。そこで父はセーレンを気分転換にと少しの間旅に出す。

 

・「大地震」と絶望、希望

 から帰ってしばらく後、キルケゴールが「大地震」と名づけた深刻な衝撃が彼を絶望の淵に落とした。「大地震」について具体的に彼は語っていないが、おそらく父の罪と、それに基づく深い不安を知らされたことだと信じられている。つまり父が子供の頃、神を呪ったことか、抵抗できない立場の女中を父が犯して、結婚以前にその子をはらませたということを知り、自分が罪深い父と母の子であることに気付いたことである。尊敬していた父がとてつもない罪びとで、自分もその罪を受け継いでしまったのだと自覚させられたことが、「大地震」の内容といわれる。

 の兄弟は1834年までの間に、7人中5人が死んでおり、一番長生きした次女と三女は共に33歳で死んでいた。このことから父は、子供たちは皆33歳までしか生きられず、自分は最後まで生きて、孤独な老年を迎えさせられるのだと信じていた。

 ルケゴールはその後ぐれて、放蕩息子となる。18367年の日記には自殺こそが最大の救いだという絶望的記述もちらつく。1838年になると恩師からの忠告もあって復帰する。そして父との和解を果たすが、それからまもなく父は亡くなった。

父の追憶、……これが私にとっていちばん貴いものなのだ。私はその姿を、世間からかくして大切にしまっておこうと思う。

 

 

工藤綏夫『人と思想19 キルケゴール』、清水書院、1968年。

 

おまけ

・大地震については最近の研究で1938年だったのではないかとも言われています。しかしもしそれが本当なら、「大地震」→遊蕩生活という解釈は崩壊します。研究者は泣く泣くこのことを調べていたりするのでしょうか。

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