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ロン・インサーナ『ウォール街でコーヒーブレイク』 古田実訳

内容はウォール街で金融に関わっている人々の生態を描いたもの
どうやら彼らは常に極端に暇か、極端に忙しいかのどちらかの状態にあるらしい

あんまり暇だからってゴキブリ食うか食わないかで賭けてみたり
あまりの忙しさに突然頭がおかしくなったり
彼らの職場は普通ではないということがわかった
そしてまた彼らのギャンブル好きも異常すぎると

読んだ後、ウォール街から遠く離れたこの地で
頭のおかしな連中がみんな地獄に落ちますようにと
少しの間だけ祈ることにした

『ヤクザマネー』 NHK「ヤクザマネー」取材班

ヤクザマネー、恐るべし…

読んだ後、脱力というかむなしいというか
ヤクザマネーがこんなに世間に蔓延しているとは
思ってもいなかったのでとても驚いた

日本の株式市場なんて簡単に操作できるんだよ
みたいなことを言ってるところなどちょっとショックだった

ベンチャー企業も大変なのは分かるけど
起業するというのは一つの大きな夢の実現だと思うので
経営者はヤクザには負けないでほしい
犯罪で稼いだ金で投資して、また犯罪資金、武器資金になるとかもう最悪だよね

共生者とかいうもともと銀行マンとか公認会計士のような金融のプロがヤクザの手伝いしてるとかいうのなんて
結局どんなとこでも一定の割合で最低な奴っているんだなと思った

それにしてもNHK取材班すごいね
よくこんなんできたよね
運が悪いと死んじゃったりするのかなぁ…

『天顕祭』白井弓子

しばらく休むはずだったんだけどね。
まあいい。
これは漫画です。1巻だけです。
ぶあっついです。


面白かった。
スサノオの君かっこいい。

さて、祭りと聞くと
何かよからぬものを想像してしまうのは、
私だけではないだろう。

今でこそ、祭りといえば
酒を飲んだり、みんなで騒いだりと、
ただそのための口実みたいになってしまっているが、
昔は祭りにはそれなりの意味があったり、
物騒なことをやっていたりもした。

その代表格みたいなのが、人柱というやつだが、
この漫画の中にも、チラッとそういう描写が出てくる。
昔はそんなこともあったよね、といった文脈の中でだ。

人柱をする理由というのは何なのか。
人は、災害や疫病などの、身の回りの不幸を
何か人知の及ばぬ偉大な力(神、自然,etc.)から来るものと
思い込んでしまいがちだ。
単純に考えれば、
それを鎮めるために、人を使うといったところだろうか。

今は科学が進んできたので、
もうそういう不幸の原因を、
超常的なものに求める人は少数派だろう。
だから今は人柱なんて現実的ではないね。

と、本当に言っていいのだろうか。
ここからは、ほとんど私の妄想になってしまうが、
何か大きな不安の前には、
そんな前提は、吹き飛ばされてしまうのではないだろうか。

確かに、科学の知識は発展した。
それで、その知識を本当に自分のものとして
身に付けているものが一体どれほどいようか。
大半の人間は、ただ言われたから、覚えさせられたから、
そう思い込まされているだけ。
そんなものではないだろうか。

いざという状況で、人間が理性を保っていられるのか。
(今の人間が本当に理性的かどうか、それはまた別の問題だ。)
私は非常に疑わしく思う。
最終的に強いのは、やはり感情だ。

人は都合のいい話にころっとだまされる。
人柱を立てれば、不安は取り除かれる。
そう言われれば、その話に乗りたがるのが人間だと思う。
いくらそれが残虐だろうと、わが身が一番かわいい。

つまり何が言いたいのかと言うと、
科学の力だって、
そこですぐに不安を取り除いてくれるような
実践的なものがその場に与えられていなければ、
全くの無力であって、
そこで出来ることと言えば、
せっせと穴を掘って人を埋めるぐらい、
なんてことになってしまうのではないか、
という私の不安。


私は人の非合理性がとても怖いのだ。
これは感情で動くとかそういうことだけを
言っているわけではない。
いやむしろ感情で動いているというなら、まだ分かりやすい。
それより非合理的な、不可解としか
言いようのない行動を取る人間、それが怖い。
そして私は、そういう人間を憎んでもいるのかもしれない。


…物騒なことを論じているうちに、
物騒な感想が出来てしまったな。

ロバート・ハクスリー編『西洋博物学者列伝』訳:植松靖夫

ウィリアム・バートラムって人が、
ハエジゴクという植物を見た時に、
こんなことを言ったそうです。
 
この植物を見てしまうと、動物の特権である知覚の能力あるいは性質が植物にも備わっていると認めるのに一瞬でもためらうことがあるだろうか?
この植物は生きていて自ら動くことのできる有機的な体をもっているのだ。この植物の場合には動作も意志も認められる(p.169)
 
えさとなる虫が自分の葉っぱに
飛び込んでくるのを待っていて、
来た!
と「思った」らパクッと葉を閉じて、
そのまま食べちゃう植物がいますね。
ああいうのを見ると、
植物にも「知覚」があって「意志」があるように思える、
と彼は言ったんですね。
 
植物に「意志」ですよ。
私も、植物に感情はあるんだろうか
と考えたりすることはありますが、
いつも、口がきけないから分からないね、
今は考えないことにしようとなってしまいます。
 
しかしこう言われると、
やっぱり植物の意志とか感情は
本当にあるのかもしれないとか思えたりします。
 
知覚があるなら痛みとかも感じるんでしょうか。
マンドラゴラという植物には、
地中から引き抜かれるときに
悲鳴をあげるなんて伝説がありますが、
伝説でよかったですね。
山火事現場とかおぞましいことになりそうです。
でもタバコのポイ捨てとかは減るかも。
 
ところで、何でも擬人化するな、
って言ったのは、
ロジャーだったか、フランシスだったか、
どちらのベーコンさんでしたっけね。

『もう一度学びたいギリシア神話』松村一男/『論理病をなおす!』香西秀信

『もう一度学びたいギリシア神話』松村一男
ギリシア神話と善悪。

ギリシア神話において善悪はどのように表現されるか。
ギリシア神話にも善悪専門の神というのは存在する。

例えば復習の女神として知られるネメシス、
彼女は本来「正義と秩序の女神」であり、
秩序を乱すようなボケカスや
調子に乗った無礼者にキレる「義憤の女神」である。

しかしだからと言って、
私たちが考えるほど
しっかりした善悪の体系があるかと言うと、
そうでもない。

確かに、
悪いことをされた人間が
「たすけて神さま女神さまっ」
とお願いすれば、
何らかの天罰を与え、
ギッタンギッタンの
ボッコボコにしてくれたりもするけれど、

周知の通り、
神々の行い自体が既に善悪を無視していることは多い。
自分への信仰が足りんからと、
人間の1人や2人冥界送りにするなど朝飯前である。

このようなことを鑑みるに、
善とは神にとっての利益なのである。
(何だかトラシュマコスのようなことを言っている。
くわしくはプラトンの『国家』第1巻後半あたりを参照されたし。)

この「利益」を
人間の行う善きこと(と神が思うような行為)
から得られる快感も含めて考えれば完ぺきじゃないか。

以上から、ギリシア神話に見る善悪、
もとい神の自己チュー性に基づく
この世界の理(ことわり)が明らかになったのである。
やったね!

                               
『論理病をなおす!』香西秀信

誤解されては困りますが、
最初から、
私は何も神話の神々を
バカにしてやろうという魂胆を
持ってやったわけではないのです。
ただ気付いたらこんなものが出来上がっていたのです。

最近一緒に読んでた本で、
ちょうど、こんなことを言っている人がいました。

哲学の学説は言わば劇場の舞台で演じられるための脚本みたいなもので、話を面白くするための色々な脚色がなされている。これは哲学に限らない。……これは他人事のように書いているが、私などもしょっちゅうこういうことをやっている。研究者としての一応の自負が、面白くないものは論文にしてはいけないと命じるので、それを論文にするために話を面白くしすぎてしまうのである。(p.38)

研究者が得意げに
このようなことを
のたまっているさまを思うと
苛立たしくもなりましたが、

それはさておき、
やはり文章を書いていると、
ついつい面白い(と思う)方向に
流れることはよくあるものです。

自分が過去につまらない文章を
読んだ時の苦痛を思えば思うほど、
そういうものを書いてはいけないんだ、と
強く思えたりしてきます。

でも面白いかそうでないかは、
人によっても、
その時の気分によっても感じ方が違って、
砕けたものがいいときもあれば、
堅いものがいいときもある。
どう書くにしても、
間違ったこと、少なくとも、自分でもそう思えるようなことは、
書かないように気をつけなければならんかなと思います。


ついで、と言ってはなんですが、
この本の「あとがきにかえて」は、かなり笑いました。
語学が不出来な者の苦悩がぶちまけられています。

著者は「外国語そのものの勉強ではなく、外国語習得法の勉強により力を入れてしまった」と言いますが、
そこには天才と凡人のどうしようもない差がありました。

――ここまで書いて、もし目の前にシュリーマン(注:ただの神話だろうと思われていたトロイア遺跡を発掘した人、「十数カ国語を身につけた語学の達人としても有名」)がいれば、「ふざけるな!」と張り倒してやりたい気がする


二十カ国語以上を学習したイスラーム学の偉い人井筒俊彦より、
「復習するのだ」「やればいいだろう」

…実に名言である。天才と凡人の違いを、嫌になるほど思い知らせるという意味で、名言なのだ。


他にもありますが、ともかくまとめると、

語学の達人数十人の勉強方法を研究して、嫌になるほどよく分ったことは、彼らはただ勉強しているのであって、勉強方法などを実践しているのではないということ

そもそも方法=勉強方法など最初からなかったのだ。彼はただ勉強したのである。

ですね。
語学で効率とか勉強法とか求めてもうまくいきませんね。
天才だろうと凡人だろうと、
持ってる時間はたぶん同じ。
能力でかなわないなら、時間を多く使うしか。
時間をかけるのが一番かも。

ちなみにこの本の中身は、詭弁についてです。
興味があればどうぞ。
わりと面白かったですよ。

『すごい速読術』斉藤英治

速読の出来ない私による速読への所感
結構長々としたぐだぐだな文章。

私は精読派で、読むスピードが遅い。
日本人の平均が500字/分だそうだが、
私はそれを下回る。
3,400ぐらいかな。
(わりと本読んでるはずなのにねえ)

ただし既に知っていること、
内容の薄い新書などであれば
800~ぐらいにはなるかもしれない。
内容の薄い新書というのは、
ベストセラーとかでありがちなものである。
具体的にどれとは言うまい。

しかし基本的に、
小説を読むにしても私の読書スピードは遅い。

そんな私にとって、
速読というのは、
魅力的なスキルであるように感じられる。
内容がきちんと理解できるのであれば。

                             

速読については、
だいぶ前から言われているから、
そういうものがあるのは知っていたし、
興味もないわけではなかった。
しかしそれが本当に、
私にとって有益なものなのかどうか、
それは少し疑問なところがあった。

速読をすすめる人は、
月に何十冊も本が読める、
などと言うが、
何をもって「読む」としているのか、
本当にお前たちはそれを理解しているのか、
そんなことを考えていた。

冷静に考えたとき、
例えば自分がそういう人たち、
つまり速読をやっているような
人たちのようになりたいかと考えたとき、
どうも乗り切れないところがあった。

大体どこかの経営者が速読家として出てきたり、
今だと勝間さんとかが有名かもしれない。
こういう人たちのようになりたいかと言えば、
失礼ながら、あまり気が乗らない。
せっかちで、自分の分かることだけを
取り出してそうなイメージがある。

だから、速読なんて大したもんじゃないだろう、
と、「あのぶどうはすっぱいんだ」さながらに、
避けていた。

しかしたま~に、身近で、
「うちの息子が本ぱらぱらしてるだけで資格とってた。まともに勉強してるの見たことない」
とか何とか聞いたりして、
いやもちろんこれが
本当かどうかは分からないけれども、
でも気になっちゃう。

そんな感じで、
面倒ながらも少し速読を知ろうかと、
とうとうこの時が来たかとか思いながら(笑)
この本を読んでみた。

                          

さて、ここからやっと本の内容、
速読とは何ぞやということになるのだけども、
独断的に分けてみると、
2つの方向性があるように思えた。

1つは斜め読みで、
もう1つは単純なスピードアップ。

細かく見ると、
斜め読みタイプというのは、
自分にとって
必要な情報だけを探していくやり方。

何が必要な情報かは、
一人ひとり勘でやるしかない。
多分このやり方を間違えると独りよがりで、
偏屈な人間になってしまうのだろうなと思った。

もう1つのやり方で言われるのは、
読むときに

心の中で声に出して読むのをやめること、
文字を追うスピードを速くすること、
文字を見る範囲を広げること。


大体こんなこと。

要するに基礎的なスピードアップの方法論で、
こちらは、もし出来るようになれば、
確かに強いかもしれない。

分かるだろうが、
心の中で声に出していれば、
それだけ読むスピードは遅くなるし、
また視点を移動するスピードを上げれば、
視点の移動中は理解がストップしているそうであるから
その分得られる文字量は増加する。

ちなみに文字を見る範囲、
1度に見る範囲だが、
最大で見開き1ページまでいくそうだ。
最初は3文字でも5文字でもいいが、
基本的には見る範囲の中心に焦点を当てる。
そうして目だけを動かし、
視るのだそうである。

多分新聞などを読むときは
みんな無意識に似たようなことを
やっているのだろうが、
読みたい本、
読まなければならない本を読むときに、
その方法で済ませられるかは
また別の話であろう。
実際新聞の内容などほとんど覚えていない。


速読など邪道だと言い切るのは簡単だ。
実際私も同じことを思っていたし、
今でもそう決め付けたい気分ではある。
だがもし読みたくないが
読まなければならない本というものがあれば、
そいつに対しては
このスキルは有用にも思われる。

もちろん自分の読みたい本にも
速読でパパッと読んで理解し、楽しめるなら、
あるいはそれもすばらしいことかもしれないが…

あえて速読のデメリットを挙げるならば、
理解やその技術そのものの困難性はあるが、
一度にあまり長時間使えないということもある。
やはりこの読み方は疲労や負担を与えるらしく、
一般的に言われる人の集中力が耐える時間、
1.5~2時間までが上手く使える時間とのことである。

最後に、
私は速読など出来ないから、
どうしても懐疑的な見方しかできない。
だからと言って
全く認めないというわけではない。
本をぱらぱらめくるだけで
分かるなどという連中を見て、
「バカな」と思いつつも、
人間の視る力と理解力を
私が過小評価している嫌いが
あるかもしれないということを、
否定することはできない。

また斜め読みに近いと言ったが、
欲しい情報を探して、
無駄な情報を切るということも、
必ずしも悪いとは思えない。
その時点で分からないことを、
時間をかけて読んでも無駄だということは、
なくもない。
他を読んでから読み返せば、
分かったという経験は誰しもあるだろう。

速読と精読は使い分けながらでも、
使ってよいものかもしれない。
全体的に回りくどい表現が目立つが、
こんな語り方しか出来ない疎ましさよ。

精読には精読の良さがあると信じているから、
それのみを追求するのが悪いとは思わないけれど。
必要な人は勝手に身に付けてしまうのだろう。


余談だが、
先日小学校で、速読の訓練をやらせているのを見た。
速読によって読書スピードだけでなく、
他の機能も研ぎ澄まされるのだそうだ。
なんとも胡散臭い話であるが、
そのような訓練で、
もし今の「老人たち」を超えるような世代が
いずれやってくるとすれば、
「老人たち」はくだらない、などといって
退けている場合ではないのかもしれない。
これも一つの適応なのだろう。

道具を使う人間に対して、
素手で戦うのは愚かな者であるか。

なんて、
これがそんな大げさな話かどうかは分からないが、
私もせいぜい精進するとしよう。

ひとまずこれで、
今の私の速読に関するレポートとして終える。

玉井惠『日本の塩100選』

9月も残すは10日ほど。
今日は中秋の名月だって?

これまで何とか
毎月最低1回の更新ペースを
保ってきたわけですが、
いよいよ今月もまた追い込まれてきたぞ、
という感じで、

実際のところ、
今までは、
ある程度余裕を持ちつつ、

つまり手元には、
大体ブログに載せる予定の文章が
ほとんど出来てる
って感じな状態で、
手が空いたら、
自分のPCを起動した時に
ついでに
あげていってたのが、

8月がんばりすぎたせいか、
ほんとに何もないさまで、
あと10日待っても
ちゃんと文章立てられないな
という雰囲気がばりばりに
なってきやがってしまいましたので、

急遽、こんな本を
取り上げてみることに
してみやがったのでございますです。

読書感想文としては
明らかにおかしな本で、
とうとうここまで追い詰められたか(笑)
という感がなくもないですが、
何とかがんばっていきましょう。

                        

人間にはなくてはならない塩ですが、
案外塩のことをちゃんと知っている人
というのは少ないですね。
私もへぇー、が止まりません。

水(H2O)が水素(H)と酸素(O)の化合物であるように、塩はナトリウム(Na)と塩素(Cl)の化合物で化学的な名称を塩化ナトリウム(NaCl)といいます。(p.18)

そうだったのか!!
よく塩周辺に、
ナトリウムって出てくるから何者かと思ってたわ。

塩というのは、
人間の体にも入ってるのですね。
もちろん、あんなさらさらした状態で
漂っているわけでなく、
体液の中に溶けているのですが、
これが人の体には0.3%入ってるそうな。
60kgの人で180gくらい?
そんなわけだから、
汗なんかかいたときには、
塩分が出ちゃって、しょっぱくなるのです。
運動の後にスポーツドリンク飲むのも、
こういう塩分とか
補給しなきゃならんからなのですね。

逆に、運動しない人は、
塩分なんて必要ないから、
あまりとる必要もないし、
どちらかというと、
薄味好みになるそうです。
運動する人は、濃い味好み


塩が塩辛いのは、
塩化ナトリウムが多いせいらしい。
よくにがりだとか、
ミネラルだとか言いますが、
(ナトリウムもミネラルだけど、まあおいといて、)
そういうのは、
塩に対する
一種の不純物みたいなもので、
でもそういう別のものが入ってるから、
塩の辛さが中和されて、
まろやかとかこくがあるとか
表現されたりします。

焼き塩とかありますが、
あれはどうやらにがりを
とばしたものみたいですね。
にがりは漢字で苦汁とも書きますが、
その名のとおり、苦いらしく、
焼いたら、苦味が抑えられるんですって。
あと、塩がよりさらさらに。

焼き塩は家庭でも出来ますが、
焦がさないように注意ですね。
塩自体がこげることはないんですが、
色々、例えば不純物とか、
ほこりが入ったとか、
塩そのものとは別のところで
こげる要因が生じるそうな。


さて、塩の知識のひけらかしは、
これくらいにしときましょう。
結構色々読んだのです。

そんなことよりも、
結局どんな塩を選んだらいいんだよ、
という感じがしてきます。

一応、私の認識としては、
塩化ナトリウムがメインの塩辛さで、
その他が、味を抑えにいく(まろやかさとか)
といったところ。
その他というのは、
マグネシウムとか、
カルシウムとか、
カリウムとか。
でも大事なのは量じゃなくて、
比率だって誰かが言ってた気もします。


スタンダードなやつ、
塩事業センターから出てる、
あの赤いキャップで、
「食卓塩」っていうのが、
NaCl99%以上とのこと。
これ輸入天日塩なんだってね。
まあ気にすることでもないか。
有名な伯方の塩とか赤穂の塩とかも
輸入天日塩だもんね。

そんなものよりも、
この本の後半に、
色んな塩が載っているのです。
それもバカ高い。
120gで600円とか。

ここに載ってるのは、
みんなミネラルアピールしてるんだけど、
これをちょっと調べたい。

まず、1日の必要ミネラル量。
関係あるとこだけピックアップ。
マグネシウム 男:310mg,女:250mg
カリウム 男女:2000mg
カルシウム 男女:600mg

出典:456ショッピング

では、これを参考に、
いくつか適当にピックアップします。
それぞれ10gあたりのミネラル量を記す。

沖縄・九州地方
雪塩 120g/600円
Mg(まぐ):290mg
K(かり):94mg
Ca(かる):66mg

石垣島の自然海塩 250g/480円
Mg:19mg
K:11mg
Ca:120mg

宝の塩 250g/500円
Mg:25mg
K:16mg
Ca:115mg

中国地方
海人の藻塩 300g/1100円
Mg:82.6mg
K:55.2mg
Ca:35.8mg

四国地方
完全天日塩 土佐の塩丸 200g/600円
Mg:39mg
K:11mg
Ca:48mg

近畿地方
岩戸の塩 376g/2400円
Mg:310mg
K:96mg
Ca:73mg

中部地方
奥能登揚げ浜塩 100g/250円
Mg:29mg
K:9mg
Ca:49mg

ブルーソルト 130g/480円
Mg:109mg
K:103mg
Ca:37mg

関東地方
海の精 500g/970円
Mg:70mg
K:24mg
Ca:40mg

東北地方
伊達の旨塩 400g/350円
Mg:200mg
K:170mg
Ca:19mg

北海道
宗谷の塩 250g/500円
Mg:315mg
K:93mg
Ca:106mg


なかなかきつい作業だった。
さて10gあたりでミネラルを出してみたが、
正直微妙な気がする。
実際1日10gも食塩使わないし。

大体、ここに出てる塩は、
ちょっと普通じゃない。
そこらのスーパーには、
なかなか売ってないだろう。
ということは、
そこらへんで売ってるような塩では、
なおさらミネラルなんてすずめの涙だろう。

これはもう
味なり、値段なり、イメージなり、
好きに選んだらいいじゃないか
ということではないでしょうか。ねえ!




何だか無駄なことをした気がする。
この記事書くのに2時間かかった。

山口修『東洋文化史』

実は私は世界史というと、
西洋史の方しかろくに学んでいない。
もっとも、
その西洋史の知識すら
だいぶアヤシイのだが、
とにかく、
東洋史にまともに触れたのは、
これが初めてである。

範囲が広すぎて
全体をさらっと流すような内容ではあるが、
初学者にはちょうどよかろう。

改めて歴史を眺めてみて感じたのは、
人間の天井みたいなものである。

歴史の本1冊読んだぐらいで
知ったふうなことを言っているが、
それにしても人間というのは
成長しないというか、
いつまで経っても
同じことを繰り返すという
印象ばかりである。

哲学者の中には歴史を学んで、
それから真理だの
道理だの言い出すものがいるが、
気持ちが少しわかった。

もし人間に寿命がなければ、
もう少しマシな行動を
覚えていただろうか。

あまりに学習力がなさすぎ、
誰も彼も行動パターンが
似通りすぎではないか。

次から次へと王朝ができては滅び、
そのたびに人々は戦っている。
いつもいつまでも、
土地を争って戦っている。
いくら大きくなろうと、
強くなろうと、
そのうちどこかが独立したりして、
また戦いだす。

今みたいに世界中が
ネットワークでつながってる
とかいう時代でもないから、
だからこそ「駅伝」とかの
整備なんかもあったわけだけど、
なおさらそんなのは
やりやすかったであろう。

やがて東洋の舞台に
西洋が侵略者として出現すると、
数々の略奪行為に及ぶが、
確かにこの連中が
やっていることは
屑そのものといっていい。

特にイギリスのアヘン戦争のくだりなど
激しい怒りを覚える。
流出した銀を回収するために、
植民地のインドで栽培した
アヘンを清に売りつけて、
最悪死にすら至るような
中毒者を増産し、
危機感を抱いた清が
その服用の禁止、
輸入停止措置をとったところで
イギリスが憤慨して清を攻撃する。

西洋世界の野蛮さ、
暴力性に辟易しそうになるが、
果たしてこれは西洋に特有なものなのか。
むしろ人の持つ
本性によっているのではないか。
偶然にそのとき
一番力を持っていたものが
そういった行動を
起こしただけであり、
それは逆の立場になる歴史も
ありえたのではないか。

つまり、
する方もされる方も人間であり、
あくまでその種の中においての
出来事に過ぎないのではないか。

誰が悪いだとか
決め付けることになど意味はなく、
ただ人間が悪いのであり、
自業自得。

どんなに悪いことが起きたって、
どんなに悪いことをするやつがいたって、
結局それが今の人間のレベル。

カントの世界平和への構想は、
論の上ではすばらしかった。
国連など彼の思想を
実現しようとしたものといえよう。
だが運営主体は人間だから
うまくいかなかった。
今もいってない。

所詮限りある世界でしか
生きられない我々は、
そこにあるものを利用して、
交換して、
循環の中に閉じ込められているだけだ。
そんな我々に
無限に続くようなすばらしく、
平和な世界を
構築するなど不可能、
平等などありえない。

人にも色々いる。
いい人も悪い人も。
いい人だったら
いい人生が送れるという保障はない。
ひどい人生になることだってあるだろう。
信じられないほど
ひどい死に方したりも
するかもしれない。
我々が生きるのはそんな世界だ。

先日は、
東北の津波で何万人もの人が死んで、
また生き残ったにしても
悲しい思いと共に
これから生きていかなくちゃいけない人が
ごまんといる。
そんな世界だ。
そして、
それでもそんなことなかったかのように、
人は生きていかなきゃならない、
ますと ごー おん

そんなことぐらいで
人類の歴史は終わらないのだ。
きれいごとで生きられる世界ではない。
感傷に浸って救われる世界でもなく、
解決できるものでもない。
生きる限りは、
必死で生きるしかない。

・・・人生ってこんなめんどくさいものじゃなきゃいけないの?

佐古和枝『ようこそ考古学の世界へ』

これはすばらしい
考古学とかマジ興味ない、
そんな私をひきつけきっちり最後まで読ませてくれた。
目からうろこ落ちっぱなし。

著者は女性だが、文章がすこぶるうまい。
女性のほうが文章を書くのはうまいというのが、
ひそやかにささやかれたりするのだが、
これはまさにそれを感じさせる。

私の勝手な意見を述べるが、
一般に男性は論理的で、
女性は感情的であると言われがちである。
(いや、こういう傾向があるというだけで、例外とか認めないというわけじゃないから・・・)
多くの場合、
筋の通ったストーリーのほうが重要で、
論理を破綻させているようなものはごみ扱いされる。
これは当然である。

しかしあまり論理論理と言っていても、
頭でっかちな文章になって退屈になることがある。
これを補うのに感情は便利なのである。
それに強いのがまさに女性で、
昔から女性は文章うまいのだ。
紫式部とかもそうじゃないか。
感情の機微がうんぬん・・・。

もちろんただセンチメンタルなだけでは、
学問において滑稽以外のなんでもないのであって、
その点、著者は研究者なのであるから、
きちんと自分なりの論理を持っている。
であるから、
うまいこと論理をおろそかにはせず、
感情的な部分に訴えかける手法を操っている。
それは著者以外の語り部が
多数参加することに端的に表れている。

さて、本の中で面白かった部分をあげるとすれば、
遺跡がなぜ埋まるかというのが基本的で、
かつああなるほどと思わせる感じで、
お勧めなのだが、
まあそこは自分で読んでください。

というわけで邪馬台国の部分を挙げておく。
一回読んだだけでは議論が二転三転して複雑だったので、
今ここにまとめる気力は残っていないが、
おもしろかった。
私は著者の考えを支持します!!
おわり。

考古学というのは実際に出てくるものが大事で、
それまでいくら確定したと思われることでも、
新たに出土したものが、
あの旧石器捏造事件みたいな嘘っぱちじゃなく、
ちゃんとしたものであれば、
どうしたって認めるしかなく、
そのたびに学説をかえていく
必要に迫られちゃったりなんかして、
なかなか大変そうだけど、
がんばってってほしいね。

過去の歴史を明らかにするのは、
書かれたものだけでなく、
こういう土の中から出てくる遺物もまた
証拠として強く主張してくるのだね。

西岡正子編著『生涯教育論』

言葉はよく耳にする生涯教育。
聞くたびに右から左へ
聞き流していた言葉。
生涯教育というのが、
何とか学級と名のついた
ただの交流場や、
暇人の趣味としての
お稽古事であるような
印象を持っていたからである。
実際間違いでもない。

しかし改めて
生涯教育論と銘打った
この本を読んでみて、
理念としてはなかなか
面白いものだと気づいた。

20世紀も半ばになって
ユネスコのポール・ラングランが
唱えた言葉でやっぱり
新しい言葉ではあったのだな。

学習というものを
子供だけのものとして
考えてはいけない。
人として、
学び続けることで
自分を高めていかねばならぬ。
まして今は、
人の寿命を超えるスピードで社会や文化は変化していく。
さすがホワイトヘッドいい言葉ばかり残すな
子供のころに学んだことが
大人になっても通用すると思ってはいけない。
そして大人は子供に
自分の古い知識を与えても意味がない。

現代において重要なのは、
何を学ぶかではなく、
どのように学ぶか、
つまり学ぶ方法を
学ばねばならぬのであって、
方法論を学ぶことこそが
要となっている。

また学習は
実学のためだけのものでもない。
学習それ自体が
生きるうえでの悦びになる。
学ぶことそのものに価値がある。
幸いにも年をとっても
衰えぬ能力といわれる
知性
であるから、
これは一生涯楽しむことが
できるものである。
そういうわけで、
大人になっても
人はお勉強をするべきなのであって、
そのためには
ちゃんと仕事休ませろといったことを
一部の面々は言うのである。
教育目的の有給休暇、
OECD提唱のリカレント教育。
生涯学習の流行は
日本で社会人が
大学に入りやすくなったのも影響したか。
(いや、学費g以下略)

ともかく色々面白そうな
生涯学習概念ではあるが、
正直なところ、
まだまだ多くの人々には無縁であろうな。
暇人と老人どものためのコンテンツってとこ。
特に日本じゃ無理。

所詮我々は古い人間なんだよ。
今の概念を覆せるのは次代の人間だ。
古い教育を受けた我々に
今の環境を変えることはできない。

最近の資本主義の危機から
またベーシック・インカムの話題が
一部再燃してるけれども、
多くの人が懸念するのは、
金もらえるなら
誰も働かないってことだ。
時間が余れば
もっと生産的な活動をする人が
増えるといっても、
そんなことは誰も信じない。
(ちなみに生涯学習論が興隆したのは余暇時間が昔と比べて増えたから)
何でかっていえば
自分の経験でわかってるからだ。
時間があれば
怠けるに決まってる、
自分がそうなんだから
みんなそうに決まってるだろ。

たぶん今の人々に
そのままベーシック・インカムを
適用したらそうなるかもしれない。

これを生涯教育論者は、
教育が足りてないせいだって
言ってくれる。
そもそもそういう教育を受けてないから、
もうだめなんだ。

だから次の世代なのだ。
教育を変えれば
人の意識を底から
変えることができる。
今の制度を変えることができる。
でも教育者は必然的に
我々の中からでなければならない。
もうだめだ、逆説的だ。

結局これでわかるのは、
人間が自分の意志で
将来を方向付けられないということだけなんだ。
一度システムが
めちゃくちゃになってから
ようやく気づける。
それを今まで繰り返してきた。
今の環境が壊れるのはいつなのかな。
誰がその鍵握ってるのかな。
資本主義もうやばいのかな。

・・・なんでこんな終わり方になったの。



おまけ
・資本主義と人間について最近思うこと

もうついでだ。
どうせ書くならここしかない。
資本主義というのは
お金第一主義であって、
みんながお金に価値があると
考えることによって成り立つ。

ではそもそもなぜお金が
必要かといえば、
人々の欲望を満たすために
それは使われる。
食べること、遊ぶこと、
着飾ること、住むこと、
多様なサービスを
受けるためにはお金が
必要になる。

これは人が最大限効率的に
快適な生活を願い、
それを実現するシステムを
考えた結果なのである。

大昔はどうしていたかといえば
ほしいものがあれば、
自分で作るか、
相手がほしいと思うものを
物々交換でもって
交換してもらっていた。

何でもかんでも自分で
作り出すのはめんどいし、
効率が悪すぎたから
人は交換で他人を頼るようになったけど、
しかしそのときどき
何を渡すべきかで困るから、
ある特定のものに
絶対の価値を認めた。

日本では石高制もあったけど、
これはわかりやすい。
米はあらゆる人にとって
重要なものだった。
米には主食として
直接的な価値がある。
でも米は腐るし、
幅を取りすぎ重過ぎで
どうしようもない。

だから共通の価値ある概念として
お金が出てきた。
お金それ自体には
何の価値もないけど、
何でも交換できる
ジョーカーみたいなもんだから、
とりあえずもっといて損はない。

米なんかと違って腐りゃしないし、
幅もそんなにとらない。
みんなが価値あると思ってるから、
とにかく何でも使える。

でも何もないとこから
お金は出てこないから
銀行ができた。
銀行がお金を刷って、
取引のためにお金を貸してもくれた。
銀行としては
ただ言われただけの貸付やってたんじゃ
何の得にもならないから、
利子をとった。

でもこれがおかしかった。
お金は最初から
取引分しか存在しないのに、
利子とかいう異次元を
生み出したせいで、
実在するお金の量以上に
たくさんのお金があるという
状態になった。

これを解決するのが
経済成長とインフレだった。
経済は成長することによって
全体のパイがどんどん大きくなっていく。
それにあわせてお金が増えて、
増えた分の利子も増えた。
経済フィールドそのものが
どんどん大きくなっていくのである。

ただこれは誰がどう考えても
おかしかった。
経済を少しでも学んでみれば、
大学1年生でも、
ちょっと話を聞いただけの
高校生でもいい、
無限の経済成長という言葉に
違和感を持たずにはいられないはずだ。

でも勉強してるうちに
そんなもんは忘れていく。
なんかもうどうでもよくなって
気にしなくなる。
まあ成長するって言ってんだし、
いいんじゃね。
そんな感じである。

ところで、
もう一つおかしな点を
指摘しなければならないことがある。
お金は腐らないと言ったが
実はそんなことはない。
どんどん腐ってる。

経済にとって好ましい
マイルドなインフレだが、
このインフレがどういうことかといえば、
一つ一つのお金の価値を
下げているのである。

お金の価値が下がるから、
たとえばそれまで給料が20万であったら、
インフレで21万になったりする。
もともとの20万=21万となるわけだが、
これはおかしい。
21万なら21万もらってなきゃ
ダメなわけで、
インフレによって過去の給料が
下げられているのである。
この人は本来21万円分の
働きをしていたにもかかわらず、
20万円しかもらえていなかった
ことになるのである。
(言うまでもないが、もし20万をもらって即座に使えば何の問題もない。)

もし同じ働きにして、
今1000万になる働きが、
10年後には2000万の価値を持つ
働きになった場合、
仮にその1000万を
10年漬けておくことで
1000万を腐らせることになる。

このようにお金の価値は
実は絶対ではない。
その辺をごまかすのが
経済成長であって、
それを続けることが重要なのである。
終わりなき自転車操業である。

これまでうまくやってきたっぽい
資本主義だが、
なんか最近やばい。
おそらく無駄が増えすぎてる。
いらない仕事も多すぎる。
その割りに世界を見ると
不平等具合がしゃれになってない。
富が一極集中しすぎてる。
でもって人増えすぎ。

仮に資本主義がぶち壊れて、
どうなるか。
お金の価値が無効化するのは
おいといて、
そもそも価値があるものは
何かというと、
人に快適を与えるものである。
ものでもサービスでも
直接人の欲求を満たすものに
価値があるのは大前提である。

ではその価値を
作り出すのは何かといえば
それは人の労働力であろう。
世界全体がどうなるか、
そんなの私の頭じゃわからない。
もう限界。

妄想をもうしばらくだけ。
機械化によって
人の生活は楽になるはずだった。
いや実際楽にはなってる。
でもぜんぜん楽になった感じがしない。
人が機械に振り回されてるところもあるだろうけど、
一番大きいのはやっぱり資源的な面じゃなかろか。
無限のサイクルが完成しない限り、
あの永久機関というものができないと、
やっぱどうしようもない。

人は欠陥が多すぎる。
完璧な人は存在しない。
人間の管理には限界がある。
今の世界の人口が
多すぎるからある程度減らすことで、
最高に快適な世界が生まれたとしても、
人の欲求は止まらず、
再び人口は増えていく。
問題も増えていく。
問題によって人口減る。
破壊と再生のサイクルしか思いつかない。
私の頭もできそこないだ。

完璧な世界には完璧なシステムが必要だ。
でもそれはそれできつい。


あーちょっとすっきりしたかもー。
よかったー吐けたー。

ここに書いたのは全部個人的妄想です。
根も葉もないお話です。
別に本当にすぐ資本主義が
崩壊するとか思ってるわけじゃありません。
ちょっと頭の中だけで考えたら、
こういうことが浮かんだような
気がしただけです。

プロフィール

bq69pd

Author:bq69pd
以前に鳥取で大きな地震がありましたため、日本一危険な国宝とされるあれ、投入堂はしばらく見ることができないかと危ぶまれてましたが、実は今年の4月に開山されてたんですよね。危険ではありますが上がっていくと見晴らしはすばらしく、一見の価値はあるんではないかと思われますよ。私もちゃんとのぼったよ。

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