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森達也『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』

まずタイトルどうなんだこれ
書店で手に取ろうかかなり迷った一品

買うかどうか迷いまくって、30分ほどの立ち読み
そこまで読んで一度棚に戻す
周辺を軽く歩いて、やっぱり気になって、
再び本を手にレジへ

立ち読み中、何度かお客さんが私のまわりをうろついていた
お邪魔してすいません…

で、内容はそこそこ面白い
もっとも30分も立ち読みして買った本が、
つまらなかったりしたらどんだけ見る目がないのかということになる

この本は雑誌か何かに連載していた
昔話のパロディを集めたものらしい
タイトルからもどういうものか予想することができるのではないか

私がいいなと思った話は、
桃太郎
こっけいさがたまらない
赤ずきんちゃん
扉のイラストがエロい
コウモリ
人はなぜ戦うのか…
蜘蛛の糸
私も釈迦調子に乗んなよコラってずっと思ってた
天国というと、ずっとまどろみの中で生活してるイメージだけど
そんな世界絶対つまらんよね
幸福の王子
健気なツバメ
と見せかけて、元の作者を論破しに
ドン・キホーテ
「……おまえはサヨクだったのか」
ドン・キホーテ、悲痛な最期のうめき

「コウモリ」はいろいろと考えさせられる話だった
自衛意識が昂じて戦争が起きるというのは、
そうとも言えるかもしれないと、思った
しかしそれだけじゃないだろうとも、思った
ただ、うまく説明できそうにない

作者のシンポジウムでの発言も興味深い
国益って言葉を使うことで思考停止に陥ってるんじゃないかとか

でも、じゃあこの作者はちゃんと国益について考えてるのかというと、
あんまりそういう風には見えない
この人がやったのは、単なる問題提起で、
何か自分の答えを持っているのかというのは、
この本を読んだだけではよくわからなかった

別に誰かに薦めたい本であるとかではなく、
読みたい人は読めばいいんじゃない? というかんじ
やけに上から目線だな、私
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『就活のバカヤロー』大沢仁、石渡嶺司、『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』樋口弘和

結構前に読んだ本なんだけど、
友人と会話してたら、
何か書くことを思いついた。

これから書くことはこの本の知識にもよるので、
まああげとこうかと。

就職活動だが、
昔とはずいぶんと変わってしまったものだ。
20年ほど前までは、
卒業する少し前に始めればよかったのに、
今ではどの大学に入れば就職に有利かまで考えて、
大学選びを行うのだそうだ。
(いつから大学は就職予備校になったのだろう。)

しかもいざシュウカツとやらが本格化したとして、
そこで繰り広げられるのは、まるで狐と狸の化かし合いだ。
どちらも互いに、互いを欺きあう。
なんと憐れな光景だろう。

面接官は己の目を確かであると信じ、
前にソクラテスの人事とか言う番組を見たが、あれには心底学生に同情したくなった。そこで出てくる人事というのが、ちょっとひねった質問を出せば、確実に相手の考えが理解できると思っているのだ。彼らはいつから心理学者になったのかと思うと、おかしくて仕方が無かった。それから、司会者に乗せられて、見るからに体育会系の人事が、言うこと聞いてくれて能力のある学生がいいですねとか、いかにも無能な人間の言いそうなことを平気で抜かしていた。何でこれを人事にしちゃったのか、その会社の他の人事も節穴なんじゃないかと疑った。
学生はいかにそのうぬぼれた面接官を
だまくらかしてやろうかと策略を立てる。
(騙すという点では、企業も同じようなものだ。)

そしてめでたく入社できれば、
あとはこっちのものだと言わんばかりに、
元学生たちはやる気をなくす。
会社の嘘に気付いてやる気をなくす者もいるだろうか。
ある者はサボり、ある者はやめていく。
以前別の友人から聞いた話だ。ある会社の新人営業は、監視の目も、ノルマもないのをいいことに、外で思いっきりサボっていたらしい。全くあまりにおかしくて、笑ってしまったが、その会社はそれでいいのかとたずねたら、業種を聞いて納得してしまった。やはりさっさといらない規制はなくしたほうがよさそうだ。

誰が見ても分かることだが、
面接官(会社)と学生の間には、
明らかに情報の非対称性が存在している。
(情報の非対称性?
→企業と学生は決して分かり合えないってこと)

それなのに、肝心の当事者たちは、
そのことにあたかも気付いていないかのように振舞う。
分かっていて、なお茶番を演じているならば、
彼らにとっては悲劇なのだろうが、
そんなもの端から見れば、喜劇以外のなんでもない。


さて、一応本のことももう少しコメントしておこう。
自分にはあまり関係ないという人は、
もし読むのであれば、
憐れな役者たちをあざけるなり、
笑い飛ばすなりしてあげたらいいと思います。
企業の方も、まあ参考にはなるんじゃないですか?

で、メインターゲットと思われる学生だけど、

読むな。

ちゃんと就職活動をする気があるのなら
読まないほうがいいね。
世の中知らない方が幸せなこともある。
活動してるうちに多大な違和感を持つこともあるかもしれない。
でも違和感は違和感としてとどめておくべきだ。

下手に余計な知識をつけると、
自分にとって面倒だよ。
大体、大半の学生はおとなしく社会のルールに従うしかないんだ。
無力なものだよ。かわいそうに。

せめてこの悪しきセレモニーが一刻も早く消え去ることを祈ろう。

side A『経済成長って何で必要なんだろう?』飯田泰之 他、芹沢一也・萩上チキ 編

side Aとside Bに分けてみた。
A面はいつもどおり本の感想。
B面は読みながら思いついたお話。


まずタイトルに引かれた。
でも、見た目と対話と人物に、
また別の意味で引いた。

見た目が何か安っぽい。
何だこのダンボールみたいなの。
しかも対話かよ。
おいおい出てくる人物も、
最近急に出始めたような、
声が大きいだけな感じの若造ばっかじゃないか。

かなり酷い第一印象だ。

立ち読みした限り、
飯田と岡田のエコノミスト同士の会話は、
それなりに面白そうだったから、
最悪この2人の対談さえ読めればいいか、
と思い買う決心をつけた。

で、読んでみたけど、
やっぱりこれからは若者の時代だよね!!
腰が重くて、何も出来ないジジイどもに用はないよね!!

さすがに、これはただのジョークだけど、
でもやっぱりこれからは若者の時代かなと思った。
価値観もしっかりしてるし、
何より、戦略的で実践的なところがいい。
年寄りは細々と理論体系をまとめてればいいと思った。
(どうせもう体力もアイデアも枯れてるだろうし)

それから飯田の意見にいちいち共感できた。
間違ったら修正させてくれよなんてとこも、そうだよねと思った。
一貫性がどうのこうのとよく言われるけど、
私は、必ずしも守らなきゃいけないとは全然思わない。
君子は豹変するのである。

間違えたと思ったことを修正せずに
貫き通すなんてのも馬鹿馬鹿しいと思う。
サンクコストなんて言い方もあるけど、
それはそれとして切らなきゃいけないんだ。
あまりこだわりすぎると結局、余計なコストがかかるだけ。

コミュニティ賛美の反対も完全同意させてもらう。
そんなに田舎がよけりゃお前一人で行ってろ。
地域コミュニティがどうとか、
気持ち悪い思想押し付けるな。

仮に日本全土に地域コミュニティが行き渡ったとしたら、
そのときは間違いなく、
コミュニティ疲労とか、コミュニティストレスみたいな
新しい言葉が生み出されるね。
一生コミュニティに拘束されるとか
考えただけで寒気がする。

コミュニティ信者はどこか一箇所に集めて隔離しておけばいい。
同じ理想を持ったもの同士が集まるんだから彼らも幸せだろう。


最後に、思った以上に面白い内容だった。
多くの人に読まれるべきだと思う。
最近急に出てきたような若い連中の本は
どれも感情論、思い込み論みたいなのばっかで
つまんないんだろうなあと思っていたが
どうやら思い違いだったかもしれない。
案外インテリでクレバーだった。
これを読んでしたたかさを身に付けたいところ。


念のための追記2009/7/13
コミュニティって言ってもいろいろある。
そりゃあ助け合うってことはいいことさ。
でも、地域のコミュニティを盲信するのはよくない。
本書にも出てきてるけど、
田舎のコミュニティなんて
思ってるほど、いいもんばかりじゃない。

閉鎖的で、陰湿で、意味のない習慣があって、
日本人の負の性格みたいなものが、
集まってるようなところだってあるよ。
もうちょっと現実見ないとねってこと。

だからといって、地域を潰せというわけでもないけどね。
飯田が、地方よりもっと都市に住めって言うけど、
そんなに簡単じゃないだろう、と。
国土の均衡ある発展が馬鹿馬鹿しいのは認めるけど、
そういうとこが、少し学者チック。

side B『経済成長って何で必要なんだろう?』飯田泰之 他、芹沢一也・萩上チキ 編

日本人は勤勉だ。
いや、それは違うんじゃない?
これは一体、誰が言い出したのだろう。

今、こんなことを言うやつがいたら
日本人をたくさん働かせるための戦略か?
とか疑ってしまうな。

まあそんなことはどうでもいい。
今は大して勤勉そうに見えないが、
昔は本当に勤勉だったのかもしれない。
昔のことはよく知らないが、そう仮定しておこう。

面白いたとえ話を思いついたのだ。
すなわちこれはゲームと同じだったんだよ!!

日本ではRPGが流行っているが、海外はFPSが主流だ。
念のため少し説明を加えておこう。
FPSはFirst Person Shootingの略で、
一人称視点のゲームだ。
簡単に言うと、
銃なんかで敵を撃ち殺しまくってヒャッハー!!
するゲーム。

RPGはドラクエとかFFが有名なところで、
Role Playing Gameの略。
一人でしこしこレベルを上げて、キャラを成長させて、
勇者に刃向かう最大の悪、大魔王をぶち殺しに行くゲームだ。

改めて言うが、日本人はRPGを好むとされる。
そして、私の説によれば、
それはゲームだけでなく、
現実世界にもいえるということだ。

戦後、日本は焼け野原から始まった。
ほとんどゼロからのスタートだった。
勇者(たち)の旅はここから始まったのだ。

RPGらしく進むべき場所は分かっている。
欧米の先進諸国から、最新設備の設計図や、
国家運営の見本を示されているからね。

日本はただそれにキャッチアップすればよいだけ。
それで日本は簡単に高度成長を実現するのだ。
何も考える必要はない。
ただひたすら働くだけ。勤勉そのものだ。

勇者はどんどんレベルアップしていく。
やればやっただけ成長していく。

日本はどんどん成長していく。
働けば働いただけ暮らしは豊かになっていく。

左翼との戦い、石油危機、円高不況など
数々の困難を潜り抜け、やがてバブルが訪れる。

勇者(たち)は幾多の戦いに勝利し、
平和な世界をその手に掴み取ったのだ。
こうして彼らは、わが世の春を謳歌した。
しかし平和なときは、そう長くは続かなかった。

バブルが崩壊したのである。
勇者たちは目を覚ました。
過酷な現実に引き戻されていた。
彼らはつかの間の夢を見ていたのだ。

1968年、日本はGNP世界第2位まで上りつめた。
世界第2位の経済大国 日本
その称号もあと数年のものだろう。


日本人は勤勉だ。
しかしそれは、
RPGのように日々、日本が成長していくのがうれしくて、
生活は豊かになっていって、
でも完全な平和が訪れたことで、
全てが手に入ってしまって、
ゲームは終わってしまって、
なんだかもう飽きてしまって、
結局はただのまやかしに過ぎなかったのだろう。

日本人は勤勉だ?
寝言は寝て言え。

確かに、夢は眠ってなきゃ見られない。


書いてる途中でちょっと、
いやとっても、調子に乗った。
考えてた路線から少し外れたかも。
いや、やりすぎたかも。

結局何が言いたかったのかって言うと、
今は日本よりも、中国、台湾、韓国のほうが
勤勉といわれているらしい。
じゃあ多分彼らもRPGが好きかもしれないな。

こんだけ。
つまんない? すまぬ。

『ベーシック・インカム入門』 山森亮(トオル)

先に感想を書いてから、
その後ベーシック・インカムについて適当に述べる。
感想を先に持ってきたので、
ベーシック・インカムへの思いなどは、
まあ読みたい人は読んでみればいい。

また、ベーシック・インカムは、
今ある様々な問題を解決することができるかもしれない
一つの方法として考えられるものであり、
何が何でもベーシック・インカムである必要はない。

しかしベーシック・インカムの「哲学」は、
非常に興味深いものであり、
たとえその方法論に問題があったとしても、
その精神は胸にとどめておく価値があるだろう。


・感想
入門だけど、内容は結構ハードかも。
空き時間にさくさくっと、という読み方はちょっと辛い。
最初から、どうもベーシックインカムそのものの話があまりでなくて、
やけに哲学的だなと思ってたけど、
アントニオ・ネグリが出てきて確信した。
これ哲学だ。
でも後半は経済にも入るか。
 
内容の重さもあるけど、
日本語が少しヘンなせいで、読みにくい。
私が気にしすぎているだけかもしれないけれど、
学者でもきちんと文章かけてない人間が多いと思う。
(そりゃ私だってそんなに上手くないけど・・・)
とにかく、解釈を飛ばしすぎるようなところとか、
単純に接続とか、もう少し気にして欲しい。
 
それはそうと、
ベーシックインカムの歴史が意外と長かったのに驚いた。
J.S.ミル、ガルブレイス、ケインズその他大勢、
有名な経済学者も提唱していたことを知ってまたびっくり。
というか、逆にこれだけの人たちが主張してるのに、
今までほとんど知らなかった自分にがっがりだよ。
 
「働かざるもの食うべからず」
私もあんまり好きじゃない言葉だ。
こんなこというなら、
相続税
100%にしてろとかいうくだりはなるほどと思った。



・ベーシック・インカム
 
念としては、諸手を上げて大賛成だ。
そもそも賃金労働をしなければ
まともに生きていけないというのが理解しがたい。
何故賃金労働なのか。
本にもあるとおり、労働をしろというが、
家事労働も労働だし、
生きることだって労働と見なされてよいのではないか。
実際は、家事労働だけ、生きるだけ、
それでは生活は保障されない。
 
きるだけといっても、
その中には色んな労働が含まれると思う。
例えば、私は今このブログを書くのに、
多大な労力をかけている。
これを書いても誰かがお金をくれるわけではない。
これを書いたからといって誰も生活は保障してくれない。
 
がベーシック・インカムでいいなと思うのは、
適正な再分配もそうだが、
今までは働くことに時間をとられていた人が、
本当に自分のやりたいことに集中することができて、
よりクリエイティブな試みがなされるようになったり、
周りから評価されない、意味がないとされるような取組に、
本気でのめりこむ時間を確保できるようになることだ。
 
間はあまりにも賃金労働に捉われすぎている。
だいたい働きすぎだ。
ただ生きるために、毎日毎日へとへとになるまで働いて、
本当に自分のやりたいことをする時間など限られてくる。
仕事の目的は、生活にある。
しかしいまや仕事が目的となりつつある。

事の中に生きがいを感じる人は別にそれでもいいだろう。
だがそうではない人間だって数多くいるはずだろう。
なぜ仕事のために生きなければならないのだ。

にとっては、カネなんかよりも、時間の方が余程重要だ。
私の時間を奪うな。
私の考え方が「lazy」だと言ってくれるのは構わない。
しかし私は「crazy」ではない。
労働とは一体何なのか、今一度考え直すべきだと思う。
 
こで「自由からの逃走」で有名なエーリッヒ・フロムについて書かれているので引用しておこう。

フロムは以下のように回答する。現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし一度仕事への強制や脅迫がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「常態の病理」だとされる。(pp.251-252)
 
 
、まあここまでベーシックインカムを激賞してきたけども、
現実的に考えて、
日本でこれが適用されるなんて絶望的だ。

日紹介した『経済成長って~』にも
ベーシックインカムの話題は出てきていた。
飯田もベーシックインカムや、
負の所得税を推していたけど、
実現性に乏しいのは否めない。

の点は湯浅にもつっこまれていた。
やはり彼は賢いな。
彼の言うとおり、
それが実現化に至るプロセスがイメージしにくいのである。
年金、生活保護など、今ある様々な社会保障なんかやめて
ベーシックインカムにすればといっても、難しそうだ。
 
も一応どうすれば実現するのか、
少しだけ考えてみた。
まず日本が世界に先駆けて、というのはない。
起こるとすれば、ヨーロッパ辺りからだろう。
(新興国でも可能性はありそう?)

ずヨーロッパにベーシックインカムが広まって、
アメリカにもそれが広まる。
それからやっと日本がそれについていく。
やはりこれでしょう。

んなとこでもキャッチアップ戦略しか取れないのかと思うと、
本当に情けなくなってくるが、しかたない。
でもこれだと、いつになるのか全然分からないな。
私が死ぬまでやってこないのかもしれないな…
 
まれるのが100年早かったか。
100年前の人も同じことを言ってただろうか。笑)

・追記
BI(ベーシック・インカム)が出来たら、
バカで怠け者でどうしようもない労働者が働かなくなって、
人手不足になってしまうんじゃないか?

これに関して、
そんな労働者に最初から期待する必要はない。
実際今でも、
本当に必要かどうかよくわからない労働者はいる。
そんな労働者に頼るよりは、とっとと技術革新でもして
オートメーション化すべき。
幸いにも、BI後に賃金労働を行っているのは、
それなりに意欲の高いレベルの層になっていることだろう。

さらに、賃金労働はしていないが、
何らかの意欲的な活動をしていた人々からの
刺激もイノベーションの一助となるかもしれない。

と、言ってみたものの、
この説がどこまで上手くいくかは、
私にも予想がつかないな。
一つの仮説でしかないか。

他のブログにちょっかいを出してみる。
ベーシック・インカムに反対します  (Hinemosu)

何でそこまで反対するんだろうという好奇心。
議論のための議論になっていないかという不安はある。
その判断は読み手に任せるとしよう。

まあ実際ベーシック・インカムなんてただの妄想だろ
なんて意見は、私も最初思ったし、
今も理想的なもので終りそうだなとは思ってる。

じゃあなんでこんなに頑張ってるかって、
少しでも「賃金労働」をしなくてすむような
方法を模索しているからかもしれない。
だって今の状態はあまりに奴隷的でしょう。


なかなか早くコメントが返ってきた。
随分といやみな解釈をされたものだ。

>まとめるとバカからの搾取速度を加速させ、
>真面目な勤労者の労働意欲を削減させると言うことですかね。

全くどういう論理プロセスを経て
こういう結論が出されたのか
私には理解できかねるのだが。

搾取速度の加速というのは、
要するにただでさえ今バカな金の使い方をしてる連中が
さらにバカな使い方をするであろうということだろうか。
そんなもの勝手にさせておけばよいではないか。
救いようのないバカを救えとは言っていない。
そもそも彼自身、そのようなバカを見下しておいて、
何故突然、バカからの搾取速度を加速させることに拘泥するのか。
一体バカを擁護したいのか、無視したいのかどっちなのか。

それから念のため、格差に関して、
バカが貧乏になり、金持ちがもっと金持ちにということだが、
そもそもバカに与えられるBIが金持ちからの再分配なので、
仮にバカが全部搾取されたとしても、元の状態に戻るだけで、
格差が広がるということはない。

さて、一番厄介なのは労働意欲の削減というところだ。
確かにこのような批判はBIに付き物といえる。
一応ここでは、「上手にお金を使う人間」を想定したつもりが、
「真面目な勤労者」に言い換えられているわけだが、
それならばまた別に論を展開せねばなるまい。

思考実験になってしまうので幾分恐縮ではあるが、
真面目な労働者が抜けた分の労働力を
企業は新たな雇用として求めるであろうから、
それまで失業していた人に機会がめぐってくることになる。
それはさながら擬似的なワーキングシェアの実現
ということになり、所得格差をフラットに出来るだろう。


コメントに対する釈明はこの辺にしておく。
なお、向こうのブログにこれ以上コメントする気にはなれない。
恐らく不毛な議論となるであろうから。

ああ、でも彼のことは応援するよ。
頑張ってほしいね。

BI論者は彼のような考えに
真っ向から対峙しなければならないのだね。
まったく面倒な相手だ。

・財源問題に関する覚書

財源に関しては、二つの面から考える必要があることに気付いた。
まず一つ、流動性の面から。
二つ、単純に配るための金をどう捻出するか。

・流動性
これは定額給付金や地域振興券のときのことを
思い出してみるといい。
そのとき何が問題となったか。
貯蓄に回っては意味がないということだった。

この点に関しては、人々の意識が重要になる。
そしてそれはBIが信頼できるかどうかにかかっている。
絶対途切れることなく一生BIが維持されると
人々が考えれば問題なく消費され、
特に憂うることはないだろう。

ただ年金から類推出来るのだが、
老人は金を溜め込んで、あまり使わない。
それは年金が信用されてないからだ。
最終的に自分の生活は自分で守るという意識がある。

このことを考えると、
BIがいかに信頼を得るよう運用・整備されるかが問題となる。

・財源
これについては、BIだけの問題ではない。
日本のGDPは見かけ上、輸出分が大したことないといわれるが、
実際には内需の原資もだいぶ輸出分に頼っているといわれている。
詳しいところはまだ勉強不足でちょっとよくわからない。

とにかく問題なのは、
資源のない日本は、お金を得るためには、
輸出するしかないということだ。
そしてそれを担うのは、今のところ、ものづくりだ。
製造業からの脱却が叫ばれるが、
それをすると、日本沈没なんてことになりかねない。

さて、残念だが、私の無知ゆえに、
これ以上は書けない。
ただいえるのは、単純に生産力が上がるわけでもないのに、
労働力のみが落ちるのは非常に不味いということだ。
BIにおいて出てくる、労働意欲の減退に対する懸念が
ここで重く頭をもたげてくるのである。

2009/7/17

月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている、というような。だったら、ダイレクトに20万渡せば10万円セーブできるんじゃないかと思う。(ベーシックインカムの話より引用)


実際こういうことはたくさんあると思う。
本当にその労働力は必要なのか。
なんでも費用対効果で考えろとは言わないが、
冷静になってみれば、疑問は湧いてくるもの。

少なくとも、管理者はちゃんと考えないとだめでしょ。
価値のない労働をさせて、それが無意味どころか、
マイナスだなんて、笑える話じゃないか。
CSRでもやってるつもりなんだろうか。
せいぜい会社が傾かない程度にしてもらいたいものだ。

『アメリカの大学院で成功する方法』吉原 真里

何でこんな本読んでるかって、
そりゃあ学生の身分というやつが恋しいのですよ。
なんでもっとちゃんと勉強しなかったんだろうなあ。
後悔、こーかい、こ~かい。
人生なんて後悔の積み重ねですよ。

きっと今までも、
私と同じことを考えて苦しんだ人が
星の数ほどいたんでしょうねえ。

そんなことはさておき、
やはりアメリカの大学院はすごいですね。
1日1冊英語の参考書を読み、
途中にある資格試験のために400冊。
日本の大学にはないですよねえ。

なんでもかんでも欧米の真似をしろとは言いませんが、
日本は大学も大学院もふ抜けてます。
東大って言ったって、学生がやってることは、
ほかの雑多な大学と同じように、テスト前に必死になるだけですし。
(例外もいるかもしれないけど、それを言い出せばどこもいっしょ。)

日本の大学でも、旧帝大あたりがもっと卒業しにくい
教育プログラムを作ったらいいんじゃないですか。
私立も日本版アイヴィーリーグとかあればいいのにね。
(今の日本の私大とは、比較するのも憚られちゃうよ。)

日本の大学教授の社会的地位とか賃金は高すぎるから、
もっと下げるべきだと思うんですけど、
どうなんでしょ。

もう完全に既得権益層に牛耳られてませんか。
こういうのも日本の教育をダメにすると思います。
日本の大学教授はもっとちゃんと
研究や論文の執筆をしてもらいたい。
できれば教育も。

正直、私は日本の知が貧困になるというなら、
その原因は彼らにあるんじゃないかと思っています。


本の評価があんまりないですね。
ちゃんとしときましょう。

まずアメリカの大学院に興味がある人は読んだらいいと思います。
ためになることがいっぱい書いてあると思います。
私はアメリカの大学院に行ったことがないから
断言はできませんけどね(笑)

ただ、著者のアメリカ文化研究者としての狭い範囲のことを
基本につづられてますから、
汎用性がちょっと低いかもしれません。
それでも興味があるなら読む価値はあると思いますけど。

興味無い人は……そりゃ無理に読まなくてもいいでしょう(笑)
でも私は結構読んでて面白いと思いました。
私からすればもはや別世界ですよ。
海の向こうの学生は、こんなに頑張っているんですね。
Ph.D.はスゴイ。
感想はこんなもんで。

それと最後に、
教育に携わっている方は、
もっと子供に勉強することの大切さみたいなものを
教えてあげてもらいたいですね。

ただ勉強しないと後悔するとか、
そういう適当なことを言うのではなく、
勉強は面白くて、
自分にとって本当に大切なものなんだということが、
自発的にわかるようにしてほしいです。
それさえわかれば、あとは自分で勝手にやるはず…

それでもやらない子はたくさんいるか。
でもやっぱり後で、後悔しちゃう。

こうして言うのは簡単だけど、やるのは難しいんだろうなあ。
教科書なんてぱぱっと終わらせて、
もっとほかの学問的な雑談とかすればいいかも、とか。
そういう話の方が面白いしね。
でも点数取らせるのも大事だよねぇ…
教員も大変だわ。

『今こそアーレントを読み直す』仲正昌樹

アーレントの言うことはどっちつかずで中途半端だから、
読者の求める答えが得られにくいかもしれないとのことだが、
少なくとも私には有用で、
スッとするような一つの答えが得られたように思う。

                                          


民主主義的なものが本当に実現していた時代、
古代ギリシアで人々が
「利害関係から自由にポリスの共通善のために討論」
していた時代があった。

この時代では、どの家も奴隷を抱えていた。
経済的なことも含めて、
家のことを任せておけるような召使みたいなものが各家々にいた。

そして主人たる「自由人」という階級にある「市民」は、
利害の呪縛から離れたところで、
純粋に、ただ議論し、日々その腕を磨いていた。

そこでは、
議論は多様性や深みを増すための余地が大きく広がっている。

                                          

翻って、今の時代はどうだろう。

もはや労働を自分の代わりに引き受けてくれる奴隷は存在せず、
自らが働かなければ、日々の生活はままならない。
私たちは皆、利害関係に縛られ、
「マトモな人間性」というものを保つのが非常に難しくなっている。

いくら民主主義だといっても、
直接、間接、問わずそれで利害関係から逃れられるわけではない。
そして今の「代表」というのは、
地域や職種や人種といったものの「利益代表」なのだ。

雇用、貧困、格差、環境など様々な「問題」というのは、
利害関係と密接なものであり、
こういった諸問題を公正に取り扱うことは不可能。
また、同じ利害関係にある人間同士は繋がり合い、
集団同士の対立が常態化する。
「人々の行動が、『経済』的利害を中心に均一化される」

各人が集団の中に埋没し、個性を失っていくことによって、西欧世界の伝統的な意味での「人間性」は徐々に崩壊していく。統計学的に行動が予測できてしまうとすれば、「人間」というより、動物の群れである。(p.106)

                                          

要約じみた文章になってしまった。

最近私が考えていたことを、
この本が代弁してくれたので、かなり助かった。

誤解してもらっては困るのだけれど、
昔みたいに奴隷を使って自由になろうぜ!!
などといったことを考えているわけではないので、
そこのところはご了承いただきたい。

実際、利害関係から離れてたっても、
おばかな市民が煽られることはあったし、
衆愚政治もすでにこのときから言われてたからね。
上で挙げた時代というのは、
いわばパラレルワールドのようなものなのかもしれませんな(笑)


あんまり関係ない話だけど、
奴隷ってのも案外考えようによっては楽そうなものであったりする。
私から見たら。
特に戦争に参加しなくていいあたりなんかが。
市民は全員参加だからね。
それに家の奴隷も仲が悪いとかでもなけりゃ、
そんなに大変そうでもないし。
まあだからといって、
当時の人たちも奴隷の立場のほうがいいと思ってたってわけではなし。


そうだ、この本はとてもいい本だと思うので、
もし興味があればご一読いかがか。
新書はもう二度と読まないで、売るか捨てるかするつもりなため、
普段はいちいち本に書き込みなどをしない私が、
読みながらペンを取った珍しい一冊(笑)
さすがにアーレントを読んでいる人にとってもいい本かは分からないよ。

『世間さまが許さない!』 岡本薫

正義とか倫理といったものは、
不安定で分かりにくく、脆そうなものですよね。
これが「正義」だってはっきりしたものがないから、
多様性というものを認めているのであって、
まずそこを認識しておかないと、
「自由」が何なのかも分からないのでしょう。

この本は「日本人論」に関する本だと言っている通り、
それは「日本人」についての分析です。

私がこの本を手に取ったのは、
大体何が書かれているかを予測した上で、
かくかくしかじかのことが書かれているであろうとし、
ストレス解消をもくろんでいたからであると、
認めるにやぶさかではありません。
威勢よく「日本人」を叩っ切ってくれることを期待していました。

結果としては、
まあ可もなく不可もなくといったところでしょうか。
全体的に見方が浅いです。

自分の経験から、
あの人がこんなこと言ってた、
この人がこんなこと言ってた、
ある人がある場所で・・・
いや、知らんがな、と。

面白かったのは、
国会議員と官僚の関係と、
西欧には神様をバックボーンとした価値観があるから、
枠からひどく外れないんだと論じているところです。

システム上、
国会議員が頭で、官僚は手足でしかないのに、
全て官僚が悪いことにされてるって状況があるんですってね。
官僚は自分で何も決めようとしない
国会議員の尻拭いをさせられてるとか。

それで、いくら批判されても、
本当は無能な国会議員が悪いんです~
って言わない官僚は何なのよって話ですけど、
彼らもそれに耐えることで、
あとからいい思いをさせてもらえるんですね。
やっぱりどっちもどっちでしたね。

最後の第5章についてですが、
ビッグ・ブラザーを思い出しました。
サブタイトルの「『世間さま制』にしたら?」
とかいうぞんざいな感じに軽くイラッとしつつ、
こんな恐ろしいシステムでやっていけるとは思えませんね。
情報を制する者が勝ちそうです。
マスコミが今以上に大活躍しそうですね。

しかし第5章は彼のイロニーなので、
あまり本気にしてもいかんですかね。

レッテル貼るなら「アナリティカル・シニシスト」
にしてくれと、少々お寒い発言をし、
価値的相対主義者を自称する著者ですが、
自分の価値観に絶対的自信を持ちすぎです。

アナリティカルに見られたいなら、
もう少し自分のアナリシスを対象化して(相対的に)
考えた方がよさそうです。

(この文章の完成に2時間以上かかったなど誰が想像できましょう・・・)


なんともタイムリーなことに、
朝のご老人がたくさん出ているニュース番組で、
ご老人方が心の豊かさが足りない、
教育で心の豊かさをはぐくめ的なことを言って
盛り上がっていらっしゃった。

教育を受けることで
豊かさがはぐくまれるということは、
否定しませんが、
どうも私の考える「教育」と彼らの考える「教育」には、
相違があると感じました。

彼らは「洗脳」を「教育」に、
置き換えてしまっていると思います。

恐らく無意識でしょうが、
思い込みで語られる正義ほど迷惑なものはないですよね。

それと、わたくしの個人的意見ではありますが、
心の豊かさなんてものをみんなが持つようになったら、
恐らく自殺者が増えると思います。

あまり精神の世界にのめりこむとめんどくさいです。

『キリストの身体』岡田温司(アツシ)

内容が微妙にしょぼいと思えるのは気のせいだろうか。
キリスト教について読むと、
いつもこじつけっぽいと思うが、
この本は輪をかけてそれっぽい。

といった感想だったのだが、
「おわりに」を読むと、
彼はキリスト教関連の図像を、
客観的・実証的にしか語られない領域から引っ張り出して、
「風通しのいい」領域へ連れ出したかったということのようだ。

確かにグラフィック資料が多く、
そこはよかった。

彼はキリスト教そのものに、
取り立てて関心があるというわけではなく、
議論がやや稚拙な雰囲気なのも納得がいった。

とはいえ、
前に『マグダラのマリア』『処女懐胎』と2作出しているようで、
帯には、キリスト教3部作完結
(だったかな、帯捨てたからわかんない)
みたいなことが書かれてあったのだから、
そりゃ内容に期待するだろう。
中公新書2000冊も近くてキャンペーン打ってたし。

前作にも興味があったのだが、
これはいらないかなあ。
少なくとも今はあんまり興味がない。

でも面白いとこもあったのよ。
中世に愛する人やキリストに自分の心臓を、
プレゼントしてる絵が流行ってたみたいでね、
その絵見て、バッカじゃないの(笑)
ってひとりでつっこんでたんだけど、

著者が言うに、
いくら荒唐無稽ったって、
あんたたちも好きな人にハート型のチョコ贈って、
ハート(heart)食べてんじゃない って。
ね、おもしろいっしょ?

私の文章ではいまいち伝わらないかなあ。


一応ちゃんとフォローしとくと、
私にはあんまり面白くなかったですけど、
絵とかに興味ある人には、いい本だと思いますよ。
意味を理解しながら見られるようになるんですから。

でも私にはちょっと。
イコンってもともと信者がターゲットなんだから、
私が見ても仕方ないってのはあるでしょうが、
それより、ふざけたようなのが多い気がするんですよね。
著者の言葉を借りれば「荒唐無稽」なんですよ。

大体、いくら屁理屈並べたって、
全部偶像崇拝じゃない。
聖遺物とかもう冗談としか思えない。
何それ笑うところ?

別に私は偶像崇拝の良し悪しに興味はないですけど、
ほかならぬ信者が、
つまらないこじつけで、
自分たちに都合よく解釈しようとしてるのが気に入らないんですよ。
お前らこそ冒涜してるだろう、と。

そういう作品の前で、トランス状態に入るようなのも、
信仰の篤さからというよりも、
単に自分に酔ってるだけじゃないのかと。
ただの錯覚だろうって言いたくなるんですよ。

そんな感じなので、
キリスト教関連の図像は、
作品として見ることは出来るけど、
聖なるイコンみたいなものとして出てくると、
もう笑うしかないと思うんですよね。

『格差ゲームの時代』佐藤俊樹

いやあ、困った本だった。
何が困ったかって、それについて語る前に、
まずは最初の格差論についての感想を述べておきましょう。

                                 
・格差論
特に目新しいことは書かれていない。
つまらない。
この本は著者が雑誌などに寄稿したものを
ただ集めてきただけで、
似たような論説が延々、続けられてうんざりさせられる。

しかもどれも2000年ごろに書かれたものばかりで、
今やそれらの言葉に大した力を感じさせない。
(当時読んでも感銘を受けたかどうかわからないが)

なぜ今更こんな「時代錯誤」ともとれるような本が
再び上梓されることになったのか。
著者自身この文庫化にあたってのあとがきにおいて、
捉え方のミスや時代の変化に触れている。

だとすれば、単に私は彼の自己満足に付き合わされただけか、
出版社の販売戦略にまんまとのせられただけということになる。

とりあえず自己責任という言葉が
大好きな人間に読んでもらいたいところだが、
そういう人間は大抵まったく本を読まないか、
自分に都合のよいことしか書かれていないような本を好むので、
望むべくもない。

ただ一つだけ言っておきたい。
自己責任論者の言は、
コインを10回投げた時、
表裏の確率は1/2だから、
必ず表が5回でるのであって、
表が10回とか裏が10回とか、
所与の確率に違うような結果は必ず出ない!
と言い張るような滑稽なものだということだ。

簡単に言うと、彼らが言うのは、
確率を努力に変えて、
10の努力をすることで、10回の成功が、
0の努力をすることで、10回の失敗が
必ずあるのだと言っているようなものだろう。

彼らは結果から、その人間の性格を見ているのである。
                                 

困った本だって話の続きですけど、
正直最初からずっと鼻につく感じがしてたんですよ。
言ってることの胡散臭さもそうですが、
何だか、安易だなあっていう印象でした。

そしてその懐疑が明確な怒りに変わったのが、
「4 暴力の現在形」ってところでしたね。
中でも「解体する日本的コミュニケーション」、
「『われわれ』が『他者』になるとき」
を連続で読まされたときはもう読破をあきらめかけました。

前者は
日本人は他人の心が分からなくなった的な論説で、
もういかにもな感じでした。
ええ、またこの手の「社会学者」か、と。
後者は漫画を引っ張り出して、
何か言ってます。

それぞれ1992年、1990年に書かれたものです。
随分古いんですね。
この後、何とかあきらめず、目を通すぐらいしようかと思い、
結局全部読んだんですけど、
最後の方になって、少しはマシになったかなぐらいでしょうか。

でもやっぱり雑文の寄せ集めにしか見えません。
自分でもあとがきで、「記憶」だからそのまんま~
とか何とか言ってますけど、
そんなの一人でやっててほしいです。
完全に自己満足じゃないですか。
私みたいにブログにでも書いとけばいいだけのことじゃないですか。

色々と残念な本でしたね。
出すのなら、もっとちゃんと書いてほしかったです。

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バイクや車でドライブしたり、電車や飛行機で旅したりします。忙しいからブログさぼってもいいよね?

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